テーマ:歴史

地動説列伝(8)ティコ・ブラーエ

 ティコ・ブラーエ(1546-1601) は、コペルニクスの地動説を支持しなかったので、近代天文学の発展においては脇役扱いされている感があります。しかし、実は非常に大きな功績を残しています。それは、どんな理論や発想も観測データに基づく裏付けを必要とするという立場を徹底したことです。それは今日の常識からすればあたりまえのことですが、当時は…
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地動説列伝(7)ヨハネス・ケプラー

 天文学者として初めてコペルニクスの説を公然と支持したのはヨハネス・ケプラーでした。  ケプラーは、貧しい家に早産児として生まれ、幼い時の病気の後遺症で視力を悪くしました。そして虚弱な体質に生涯苦しめられました。母親はかんしゃく持ちで、父親は職を求めて転々とし彼が17歳の時に亡くなりました。  不遇な幼少期を過ごしたケプラーです…
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地動説列伝(6)ジョルダーノ・ブルーノ

 コペルニクスが1543年に『天球の回転について』を出版してから、「地動説」という考え方は自然科学者の間で徐々に知られるようになっていきました。もちろん、支持する人はまだまだ少なく、懐疑的な受け止め方をする人の方が大勢を占めていました。  このコペルニクスの説を大いに支持し、宣伝した最初の人物はジョルダーノ・ブルーノ(1548-160…
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お知らせ

 読者の皆様、「地動説列伝」は、コペルニクスの後、次の面々について取り上げていこうと思っておりました。 ティコ・ブラーエ(1546-1601) ケプラー(1571-1630) ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600) ガリレオ・ガリレイ(1564-1642) シラノ・ド・ベルジュラック(1619-1655) ニュート…
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地動説列伝(5)コペルニクス的転換(下)

 ポーランドに生まれたニコラウス・コペルニクス(1473-1543)は幼少期に両親を失い、母方の叔父に育てられました。司教である叔父はコペルニクスが聖職者になることを望み、クラクフ大学に入学させました。彼はそこでアルベルト・ブルゼフスキ教授に出会い、初めて天文学に触れたのでした。  その後、コペルニクスは叔父の計らいで司祭の職を得、さ…
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地動説列伝(4)コペルニクス的転換(上)

 これまで不動のものとして信じられてきた価値観などが根底から覆されることを「コペルニクス的転換」と言います。  これは、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクス(1473-1543)がこれまで揺るぎないものと信じられてきた天動説に取って代わって、地動説を唱えたことによるものです。  しかし、実は天動説に対する疑念は古代ギリシ…
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地動説列伝(3)天動説の隆盛

 天動説はアリストテレス(紀元前190年 - 紀元前120頃)も採用していました。アリストテレスは、古代ギリシャ時代の学者として、その権威は絶大なものがありました。その著書が扱っているのは哲学だけでなく、自然科学や政治学など多岐にわたっています。少年時代のアレクサンドロス大王の家庭教師をしていたことも知られています。  彼は同心円の中…
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地動説列伝(2)アリスタルコス

 フィラロスからおよそ150年後、ギリシャにアリスタルコス(紀元前310 - 紀元前230)という天文学者が登場します。  アリスタルコスは、宇宙の中心は太陽であり、地球はその周囲を公転しているという仮説を打ち出しました。  アリスタルコスは、実際に天文観測をおこない、そこからこの仮説を導き出しました。 恒星はそれぞれの位置関…
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地動説列伝(1)フィロラオス

 人間は誰でも自分を中心に考えます。  自分が立っている大地が宇宙の中心であり、太陽や月や星々はその周りを回っているのだと。実際、それは天体の運行を観測した時の実感にも合っています。太陽や月や星は東の地平線から出現して天空を回り、そして西の地平線へと沈んでいきます。たいていの神話の認識もそのようなものです。  私たちも、今でこそ…
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地動説列伝(序)

 4月からは『ガスコーニュのつわものたち』を再開すると予告しておりましたが、漫画家の多忙が予定通りに解消されず、再開は5月に延期することになりました。楽しみにしていてくださっていた方々には申し訳ありません。    『ガスコーニュのつわものたち』を長い間休むことになるので、その間、この漫画の今後の展開に関係のある事柄を知っておいていた…
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宗教改革500周年によせて(下)

 今日は宗教改革500周年の記念日です。(巷ではハロウィーンが大はやりですが)  そして、この日は、キリスト新聞社が企画した「宗教改革500周年ゲームコンテスト」の最優秀作品「宗教改革者たち」(砂漠のキタキツネ 作)が販売を開始する日でもあります。    実は、このコンテストに、私すずなも応募していたのでした。  このコ…
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宗教改革500周年によせて(上)

 明日は宗教改革500周年の記念日です。  今から500年前、1517年10月31日、ヴィッテンベルク大学の教授であったマルティン・ルターが『95箇条の論題』を大学構内の聖堂の扉に張り出しました。  当時のカトリック教会は、「贖宥状(しょくゆうじょう)」を購入すれば「煉獄の霊魂の罪の償いが行える」と大々的に宣伝しました。  「…
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イギリス革命(30) 真正水平派(ディガーズ)のその後

 イギリス革命(23) 真正水平派の登場もご覧ください。  真正水平派(ディガーズ)は、エンクロージャーによって土地を追われた農民の立場に立ち、水平派すら提起しなかった経済的平等という観点を強く持っていました。  しかし、彼らは水平派よりもさらに小さな組織で、その運動の広がりもまだこれからというところで弾圧されてしまいました。そ…
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イギリス革命(29)水平派のその後

 水平派については、これまでも次のように述べてきました。 イギリス革命(18) 「水平派(レベラーズ)」の登場 イギリス革命(20) 水平派の綱領「人民協約(agreement of the people)」 イギリス革命(22) 水平派への弾圧とアイルランド侵略  1649年5月、政治勢力としての水平派が壊滅さ…
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イギリス革命(28) 王政復古

 チャールズ1世の息子チャールズ(のち2世)は、議会軍が勝利し国王軍の旗色が悪くなった1646年に母と弟ジェームズと共にフランスに亡命しました。チャールズの母はフランス王アンリ4世の娘で、ルイ14世は従弟にあたります。二人の妹はそれぞれオランダ総督とルイ14世の弟の妻となりました。  父王処刑の後、イングランドの革命に反対するスコ…
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イギリス革命(27) オリヴァー・クロムウェルの死と護国卿体制の崩壊

 1653年にオリヴァー・クロムウェルは護国卿となり、この地位は世襲制と定められました。こんなところも、共和制というよりむしろ王政に近いものでした。一院制の議会は存在していましたが、事実上権力を一手に握るものでした。  1658年9月3日、59歳でオリヴァー・クロムウェルは死亡しました。死因はインフルエンザだということです。数々の暗殺…
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イギリス革命(26) これまでのまとめ

 このシリーズは、イギリス革命を次の4つの観点で見ることから始めました。 ① 政治的・軍事的には、国王派と議会派の対立 ② 宗教的には、イギリス国教会・カトリック・プロテスタント(ピューリタン)の対立 ③ 経済的には、富裕層・貧困層・極貧層の対立 ④ 地域的には、イングランド・スコットランド・アイルランドの対立  これ…
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い 一個の地球 百億の人間

い 一個の地球 百億の人間 (現在~未来)  現在、世界の人口は約70億人で、21世後半には100億人を突破するだろうといわれています。  現生人類であるホモ・サピエンスは、現在のところ、約20万年前までにアフリカで他のヒト族から分岐したと考えられています。  共通の祖先とふるさとを持つ人間は、それから世界中に居住…
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ろ ロンドン襲うV2号

ろ ロンドン襲うV2号 (1939~1945年 第二次世界大戦)  ドイツでは、世界で最も先進的な憲法と言われたワイマール憲法のもとでヒトラー政権が誕生してしまいます。これがイタリア・日本と三国同盟を結び、英米ら連合国と激しく対立していきます。そして、世界中が再び戦争に突入しました。  第二次世界大戦中にヒトラー政…
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は ハイパーインフレ ドイツ経済

は ハイパーインフレ ドイツ経済 (第一次大戦後のドイツ)  第一次世界大戦後、ドイツはロシアを除く連合国側に対して多大な賠償金の支払いが課されました。これはすでに多大な戦費負担によって困窮していたドイツにとっては、支払い能力を大きく上回るもので、賠償金の支払いはしばしば滞っていました。  1923年1月、賠償金の…
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に 二度目で達成ロシア革命

に 二度目で達成ロシア革命 (1917年ロシア革命)  1917年にロシアで革命が起こるよりも前、実は1905年にも革命が起こっていました。ロシア第一次革命といいます。  ちょうど日露戦争末期のことでした。1905年1月、困窮した人々による皇帝への穏やかな嘆願デモが兵士によって弾圧されるという「血の日曜日事件」をきっか…
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ほ 炎を上げるバルカン半島

ほ 炎を上げるバルカン半島 (1914年 第一次世界大戦勃発)  1914年、第一次世界大戦が勃発しました。  19世紀末のバルカン半島は、オスマン帝国の衰退に伴う民族独立運動の活発化と二つの帝国(ロシアとオーストリア・ハンガリー)の介入で非常に複雑な対立がもたらされ、「ヨーロッパの火薬庫」と言われていました。つい…
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へ  変幻自在 映画の魅力

へ  変幻自在 映画の魅力 (1895年 リュミエール兄弟が映画を発明)  連続した写真を連ねたフィルムに光を当てて動く映像を再現するという意味での映画の原型は、1891年にエジソンが発明した「キネトスコープ」でした。しかし、これは箱の中の映像をのぞき込むようになっており一人ずつしか見ることができませんでした。  …
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と 共に築こうコミューン政府

と 共に築こうコミューン政府 (1871年 パリコミューン)  1848年二月革命で共和制になったフランスは、失業した労働者のために国立労働作業場を作るなどして、貧困対策に乗り出しました。ところが、6月にはその作業場が閉鎖され、これにパリの労働者が反発して蜂起しましたが、弾圧されてしまいます(六月蜂起)。  その後、1…
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ち 血と鉄で強い国家を作るのだ

ち 血と鉄で強い国家を作るのだ (1862年ビスマルクの鉄血演説)  1848年の革命は全ヨーロッパに大きな影響を与えましたが、まもなく旧勢力側の反撃が始まります。  特にドイツでは君主主義側の力が強く、それに比べて革命側は分裂し、力を弱めていきました。  この頃のドイツは小国分裂状態で、ドイツの統一をどんな形で…
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り 輪転機回せ 欧州全土に革命の嵐

り 輪転機回せ 欧州全土に革命の嵐 (1848年二月・三月革命)  1830年のフランス七月革命によって生まれた社会は人々の期待を裏切るものでした。労働者・農民の権利は抑圧されたままで、国王ルイ・フィリップは銀行など大資本家の利益ばかりを擁護していました。  人々は選挙権の拡大を求めて「宴会」を盛んに開きました。(この…
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ぬ 盗まれた自由の権利取り戻せ

ぬ 盗まれた自由の権利取り戻せ (1830年フランス七月革命)  ロベスピエールの失脚後に頭角を現し皇帝となったナポレオンは、1815年に対仏大同盟軍にワーテルローの戦いで敗北し、セント・ヘレナ島に流され、そこで一生を終えました。  その後のフランスは王政が復古し、ルイ十六世の弟たち、ルイ十八世とシャルル十世が次々と即…
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る 流布せよ世界に人権宣言

る 流布せよ世界に人権宣言 (1789年人権宣言→1804年ハイチ独立)  1789年7月14日にフランス革命がおこり、同年8月には議会でフランス人権宣言が決議されました。その第一条には「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する」とあります。この人権宣言はフランスの植民地であったハイチにも伝わりま…
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を 男も女もバスティーユを攻めよ

を 男も女もバスティーユを攻めよ (1789年フランス革命始まる)  フランスの財政はいよいよ逼迫し、これまで税金を免れていた聖職者や貴族に対しても税金を課さずにはおれなくなりました。そこでこの問題を巡って、1789年5月、175年ぶりに三部会が開催されました。これは身分別の議会で、第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、…
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わ 忘れまい独立勝ち得たあの日々を

わ 忘れまい独立勝ち得たあの日々を (1776年アメリカ独立)  イギリスの植民地であった北アメリカの東部13州は、1775年にイギリスに対して独立戦争を開始しました。1776年には独立宣言を出しましたが、戦闘は1781年まで続き、1783年にイギリスはアメリカ合衆国の独立を承認しました。  初めから勝利が易々と手に入…
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