イギリス革命(29)水平派のその後

 水平派については、これまでも次のように述べてきました。

イギリス革命(18) 「水平派(レベラーズ)」の登場

イギリス革命(20) 水平派の綱領「人民協約(agreement of the people)」

イギリス革命(22) 水平派への弾圧とアイルランド侵略

 1649年5月、政治勢力としての水平派が壊滅させられた頃、水平派の指導者であったリルバーンは獄中にありました。彼は若い頃から何度も捕らえられましたが、1646年から1649年までの革命の最高潮の時期にロンドン塔に捕らえられていました。その獄中から「人民協約」の原稿を書くなど獄中から精力的な活動をおこなったのでした。

 彼はクロムウェル批判のゆえに、王党派と組んで共和制を倒そうとしたという濡れ衣を着せられました。この罪状に関しては1649年10月に無罪を勝ち取りました。しかし、その時には水平派の主要な部隊であった兵士たちの組織は壊滅させられてしまっていました。釈放後リルバーンは下院議員に選ばれましたが議会から無効を宣告されてしまいます。その後、訴訟に巻き込まれ、追放と逮捕を繰り返し、ついにはクロムウェルに政治生活の一切から手を引くことを約束させられました。

 一方、かつて水平派であった者の中には、人々に水平派の主張をもって働きかけるのではなく、密かにクロムウェルの暗殺といった陰謀を企む者も現れました。エドワード・セクスビー大佐という人物がそれです。
 実を言うと、1651年にボルドーでフロンドの乱が起こった時、支援のためにイギリスから派遣されてきたのはこのセクスビーでした。しかし、特に成果を上げることもなく2年後に帰国してしまったということですから、あまりやる気がなかったのかも知れません。
 1653年に帰国してから彼はクロムウェルの暗殺を企みます。クロムウェルを倒すためならスペインや王党派と手を組むことさえ厭いませんでした。
 彼が水平派であったというのも、もしかするとその思想に共感したのではなく、ご都合主義的に“勝ち馬に乗る”という選択をしただけなのかもしれません。
 セクスビーとその共謀者らの計画はすべて、国中に情報網を張り巡らせていたジョン・サーローの知るところとなり、彼らは次々に逮捕されていきます。結局セクスビー自身も逮捕され、最後はロンドン塔で1658年1月に獄死します。

 当初は、このセクスビーを「第11話 暗殺者」に出そうという案もあったのですが、共感できるところがまったくなく、とてもキャラクター化することができなかったので、彼の著書「Killing No Murder」をオーギュストが読んで批判するという場面にのみ使いました。

 この時代における水平派の末路は、かなり悲惨なものとなってしまいました。しかし、水平派が「人民協約」の中で提起した「人は生まれながらにして自由である」という自然権思想と数々の基本的人権は今日の私たちの憲法の中で脈々と生き続けています。

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