厳冬の読書案内 小林多喜二とフランス文学

 今『蟹工船』ブームで注目を集めている小林多喜二ですが、実はフランス文学ともたいへん深い関係にありました。

 小林多喜二は1903年、秋田の貧しい農村に生まれました。父親は病弱で畑仕事に耐えられなくなり、彼が4歳の頃に、パン工場を経営している伯父を頼って、一家で小樽に移住しました。多喜二の家の経済事情からすれば、とても小学校以上の教育を受けることはできなかったのですが、伯父の援助を受けることができました。伯父が学資を出す条件としたのは、伯父の家に住み込んでパン工場で働くことでした。そうして彼は5年間小樽商業に通いました。12歳の多喜二にとって学業と仕事の両立が容易いものであったとは思われません。それでも彼は学業のかたわら絵のサークルに入ったり、校友会誌の編集委員に選ばれたりしました。絵を描くことは伯父に止められてしまいましたが、詩や小説を書くことはやめませんでした。

 小樽商業を卒業後は、さらに小樽高商に3年間通いました。この小樽高商の2年生の時に、彼はフランス語を学び始めました。ここでも校友会誌の編集委員に選ばれた彼は、その誌面に反戦作家のアンリ・バルビュスの短編を翻訳・紹介しました。
 また、メーテルリンクの『青い鳥』のフランス語劇に「山羊」の役で出演しました。この時の体験をモチーフとしたと思われる小説に『或る役割』があります。
 この小説は、Yという娘に振られた龍介が、『青い鳥』の劇で下品で好色な豚の役を演じなければならず、その劇を当のYが見に来ているという筋立てです。多喜二自身は、これはあくまで小説であり、実際に行われた劇のことではなく、ましてやそこで豚の役を演じた学友のことではないと断り書きをしています。
 もちろん多喜二は学友のことを書いたのではなく、それに仮託して自分の心境を書いたのでしょう。最初は無関心であったYという娘に対していつしか恋愛感情が生じていく過程、そしていったんは相思相愛になれたはずなのに一方的に拒絶されて深く傷ついた若者の心情が生々しく描き出されています。

 小樽高商を卒業して北海道拓殖銀行小樽支店に勤め始めた多喜二は、文学への思いをいっそう募らせ、仲間と共に同人誌「クラルテ」を発行し、その責任編集者となりました。「クラルテ」というのは、アンリ・バルビュスの反戦文学の題名で「光」という意味のフランス語です。バルビュスは、反戦文学運動として「クラルテ運動」を展開し、それはフランス国内だけでなく国際的にも影響を持ちました。もちろん、多喜二が自分の同人誌に「クラルテ」という名前を付けたのは、バルビュスの「クラルテ運動」を意識したものでした。

 多喜二の作品の中に幾度となく登場するフランス文学としては、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』があります。ユゴーはその前書きで「地上に無知と悲惨がある以上、本書のような 性質の本も無益ではあるまい」と述べましたが、多喜二の小説もまたその精神を受け継いでいることは間違いありません。
 例えば『その出発を出発した女』という小説では、お文(ふみ)という少女の空想の中に、まさに『レ・ミゼラブル』そのものが登場します。

「お文は雨が降っているのに傘も差さずに、妹を背負って、火山灰会社の裏に投げすててある石炭カスの中に交じっているコークスを拾いに行った。それは炭や薪などが買えないので、その代わりにするためにお文は毎日そうしなければならなかった。」
 お文は大きな会社の社宅の前を毎日通るが、そこに住んでいる子供たちが「自分の十に一つも働いたことをお文は見たことがなかった」。
 雨の中、傘も差さずに重いコークスの袋を引きずっていくお文を見て、傘を差した母子が哀れみの言葉を口にしながら彼女のそばを通っていった。
「お文は歩きながら、妙に沈んできた。――しかしお文は前に学校の先生から聞いた話を空想していた。その中に出てくる可哀相な貰い子のボロを着た女の子にお文自身が何時かなりきっていた。こんな事はお文には時々あった。その話の中では、そこへ親切な旅の男が入ってくる。そしてボロ小娘をかばってくれる。女の子は大きなバケツをもって夜中に遠い森の中にある井戸まで水をくみにやられる。その時に旅の男が出てきて、水を汲んで、それを家まで持ってきてくれる。(…)とうとうこの女の子はその旅の男に救われるのだった。……お文はひとりでに笑顔になった。何処まで来たかわからなかった。が、すぐ、お文はその辺りをキョロキョロながめ廻すと、がっかりして嘆息をはいた。そういう神様のような男は何処の小路からも出て来なかった。なぜだろうと思った。お文はその重いコークスの袋がうらめしい気持ちになった。」

 それからもお文の暮らしは楽になるどころか、父親は失業し、母親は病気になってしまいます。幼い弟妹たちがいます。それで、お文は、とうとう「売られて」しまうのでした。売春宿の生活に耐えきれなくなったお文は脱走を試みます。それを聞いて彼女の仲間の娼婦たちは口々に語りあいます。

「この窓からだよ…。」
「可哀相に、一生懸命だったろう。」
「無駄さ。」
「………」そして、「そうねえ、私ならしないよ。する程のこともない……」
「ところが、この私もしたことがあるんだよ。」
「へえ。」
「みんなするもんだ。――しないでいられないからさ。でも、無駄さ!」
「(…)今にお女将が目の色を変えて警察に電話をかけるよ。人間の足よりゃ電話の方が早いよ。」
「可哀相にさ。文ちゃんはこんなところに向かないよ。」
「警察じゃ臨検だとかなんとか云って、×××を検挙していながら、××がイヤで逃げるのを今度はワザワザ××させるために捕まえるんだから面白いよ。――ちゃんと出来上がっているんだ、世の中は。文ちゃんなんて、鉄の網に入ったサバ位さ。」

 このように、コゼットであり、ファンチーヌである娘たちの姿を、多喜二は小説の中で何度も描いています。それは日本の現実そのものでした。
 『防雪林』やそれを書き直した『不在地主』の中では、貧しい村から都会に働きに出ていった娘が大学生と恋をし、妊娠して村に帰ってくるエピソードがあります。彼女のたどる悲惨な運命もまたファンチーヌを思わせるものです。ファンチーヌは生きるために娼婦になるしかなかったのですが、大学生に捨てられて故郷の村に帰ってきたこの娘は「ふしだらな娘」として家族に受け入れられず、ついに絶望の末、死を選んでしまうのです。

 多喜二はそれから小作争議や労働運動に深く関わっていくなかで、ますます多くの小説を書いていきました。『安子』においては、貧困の中で苦闘し、解放を求める女性たちの姿を、二人の対照的な性格を持つ姉妹として描き出しました。姉妹で同じ男性を愛してしまうなどの心理的葛藤も描かれ、たいへん興味深い小説なのですが、惜しいことに途中で終わっています。いや、終わらされたというべきでしょう。自伝的要素も含む大長編を構想していた『転形期の人々』も、農村の小作争議を二人の対照的な若者を通じて描き出した『沼尻村』も、弾圧の中で厳しい生き方を強いられる人物を描いた『党生活者』も、全てが中途で断ち切られてしまいました。

 1933年2月20日、小林多喜二は警察に検挙され、拷問の末、殺されてしまいました。まだ29歳でした。公式発表は「心臓まひ」でしたが、彼の遺体には無惨な拷問の跡がくっきりと残っていました。彼は『一九二八年三月十五日』で共産党員に対して行われた大弾圧と警察での拷問の様子を生々しく書いたことで、特に警察に激しく憎まれていました。小説を書くのが本当に命懸けの時代だったのです。

 彼の死を知って、中国からは魯迅が、そしてフランスからはロマン・ロランが弔辞を寄せ、抗議声明を出しました。『蟹工船』などの多喜二の小説は、海を越えて世界各地の言葉に翻訳されていたのです。
 ロマン・ロランは、自分の小説『魅せられたる魂』の中で、反ファシズム運動に身を投じた青年(主人公の息子)がファシストによって殺される場面を描いています。そんなロマン・ロランにとって多喜二の死は自分の肉親の死にも等しいように感じられたのではないかと思われます。
 フランスと日本の作家の間には、時代を超え国境を越えた魂の交流があったのです。
定本小林多喜二全集〈第1巻〉 (1968年)
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この記事へのコメント

クロ
2009年01月31日 00:11
私にとってはまだまだ未知の世界であるフランス文学に、この記事のおかげで関心を持てるようになりました。
2009年02月01日 00:09
クロさん、私もこうしたことを知ったのは知ったのはわりに最近のことでした。ずっと前に読んだ小説をあらためて読み直すと、いろいろと新しい発見がありますね。
沢里尊
2009年02月06日 18:52
ロマン・ロランと魯迅が敬愛していたというだけで、その人が一流の作家だったとわかります。
コゼット。そうですか。旅人は現れませんでしたか。胸が締めつけられる思いです。
日本の名医で、「苦しんでいる人に会わせてください。私を悩んでいる人のところへ連れていってください」と毎日祈り、全国を旅している人がいます。
苦しみを抜き、楽を与える人生。
マスコミが見向きもしないだけで、庶民の中には『旅人』がいるんですね。
コゼットは幸運でした。
コゼットの母は悲劇でした・・・。
2009年02月07日 00:11
沢里さん、そうなんです。この二人が彼のために弔辞を送ったのです。
私はずっと前に、小林多喜二の作品を少しだけ読んだことがあるのですが、正直言って、その時は特にいいとは思いませんでした。しかし、時を経て、今あらためて読み返してみると、当時には見えなかったことがいろいろと見えて来ました。「蟹工船ブーム」と言われていますが、一過性の「ブーム」で終わらないのではないかと思っています。彼の作品の中にこれだけユゴーが影響を与えていることも最近になって知りました。優れた文学作品の登場人物は、現実の人物と同じように“生きて”おり、人の心を動かすものだとつくづく思います。

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