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| タイトル | 日 時 |
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第30話 荒野の説教者-15
ポワーヴルはさらに続けた。 「君の努力はまったく尊敬に値するよ。しかし、時には全てをさらけ出して、怒ったり、泣いたり、笑ったりした方がいいと思うね。あまり胸の中に思いを閉じこめておくと、突然暴発することがある。それが外に向かえば人を傷つけ、内に向かえば病となって肉体を蝕む。君の場合おそらく内に向かう方向に作用すると思うね。」 「それが、君がぼくに何かとおせっかいをしてくる理由なのか。」 ディマンシュは苦笑いをした。 「まあ、そういうことだと思ってくれたらいい。できれば、君の情熱のあり... ...続きを見る |
2008/05/15 00:39 |
第30話 荒野の説教者-14
「単に机から落ちただけのことだ。」 ディマンシュは冷たくそういうと、ポワーヴルに背を向け、机に向かった。その背中からポワーヴルはのぞき込んだ。 「なになに…、『ナントの勅令の意義と限界およびその廃止がもたらす諸結果』…。また難しいものを書いていたんだね。それにしても、こういったものを、いつも製本したかのようにきっちりとまとめておく君にしては、どうしてこんなにしわくちゃになっているんだろうね。散らばっていたのをあわててかき集めでもしたように。」 「いいかげんにしろ!」 ディマンシュは思... ...続きを見る |
2008/05/14 09:24 |
第30話 荒野の説教者-13
ポワーヴルはひとしきり任務の心構えや注意事項を聞かせられると、自分の部屋に戻り、出立のための準備をあれこれとし始めた。それからディマンシュの部屋を訪れた。彼は、いつものようにディマンシュの部屋の戸を断りもなく開けようとしたが、この時ばかりは何か思うところがあったのか、軽く戸をたたいた。数秒の沈黙の後、中から入るようにとの声がした。 「やあ、ブライユ君、今日は君にぜひとも聞いてもらいたいことがあってね。」 ポワーヴルはいつもと変わりない屈託のない笑顔でこう言った。 「ぼくがフランス行きに... ...続きを見る |
2008/05/13 09:14 |
第30話 荒野の説教者-12
この決定はすぐに学生たちの間に知らされた。選考過程については何も告げられず、ただ結果のみが貼り出されたのであった。その結果は学生たちに波紋を投げかけた。ポワーヴルのみが選ばれたことで、不審に思う者も大勢いた。 シブレットはこの結果を最も素直に受け入れた人物の一人であった。彼はディマンシュが選ばれなかった以上、自分が選ばれなかったのは当然であると納得した。さらに、ポワーヴルが選ばれたことについても、彼は選考の人に当った人々の眼力に敬服した。彼もまたポワーヴルの能力には一目置いていたからであっ... ...続きを見る |
2008/05/12 07:44 |
第30話 荒野の説教者-11
しかし、ここで、セルリ師がガトー師の言葉の後を引き取った。 「確かに、ガトー師のおっしゃるとおりです。私もまたかの二人がいっしょに連れ立って歩いているところを見たことがあります。およそ自分にできないことはないというような顔つきをしているブライユ君が、その時だけは困惑の表情を浮かべながらポワーヴル君と何か話しておりました。私は彼のそんな顔を見るのは初めてだったので印象に残っておりますが、何か偶然的な一度きりのものと考えていました。しかし、それが常態であったとすれば、確かにポワーヴル君の能力は並... ...続きを見る |
2008/05/11 09:53 |
第30話 荒野の説教者-10
ガトー師はその言葉が聞こえなかったのか、それともそ知らぬふりをしたのか不明では あるが、とにかく言葉を続けた。 「ポワーヴル君のすばらしいところは、…ほれ、あの…、なんと言ったかな…。そうそう、思い出した。あのブライユ君を恐れないことじゃ。」 さきほど問題になった人物の名が思いがけないところから出てきたので、一同はざわついた。 「わしの見るところ、どうやら他の学生はブライユ君が苦手なようじゃ。なにか、こう…、恐れをなしているというか、近寄りがたいものを感じているとでもいうような…。ま... ...続きを見る |
2008/05/10 07:32 |
第30話 荒野の説教者-9
ガトー師の横に座っている者がなるべく目立たないように身体を揺すぶり、そっと耳打ちして、彼を眠りから覚まさせた。しかしながら、ガトー師は、せっかくの配慮を台無しにするような大あくびをひとつしてこう言った 「ん? ああ、もう会議は終わったのかね。」 また耳打ちがなされた。 「ああ、ポワーヴル君のことか。ええ…、彼がどうしたって? ああ…、そうじゃったな。わしが彼の推薦を頼まれとったのじゃな。」 このおっとりしたものの言い方にいらだって、この人物の言葉を聞くまでもないと考えた者もいた。し... ...続きを見る |
2008/05/09 08:00 |
第30話 荒野の説教者-8
しかし、この黒ひげのレフォール師の意見に対しても反論が出た。 「今レフォール師が言われたことは、これが学生の修養の場としてなら申し分のない話となりましょう。しかしながら、今回の目的とはちと外れてはおりませんか。そんな理由でこの重大な使命を遂行する人物を選ぶわけには行きませんな。」 議論の決着がなかなか付きそうになかったので、とうとう、保留ということになった。つまり、彼以上の適任者がなければ、彼を派遣するという扱いになったのである。さて、候補者の名簿はあと一名を残すのみになった。 最後... ...続きを見る |
2008/05/08 00:23 |
第30話 荒野の説教者-7
この教師ならずとも、学生が自分の成績について教師に異議申し立てをするなどとは前代未聞のことであった。そして実のところ、そのような行動を取るこの学生にどう対応すべきか、内心ひどく緊張していたのである。しかしながら、そうした動揺を押し隠して、彼の成績を判断した根拠を提示すると彼は意外にすんなりと納得した。そのことによって、この学生は評判ほど争いを好むわけではなく、むしろ道理を説けば自分の過ちを素直に認めることもできる人物であることを理解したのである。 「しかし、教師の説得に頑なに従わないというの... ...続きを見る |
2008/05/07 07:59 |
第30話 荒野の説教者-6
批判されたと感じた者が立ち上がり、語気を荒げて言った。 「なにをおっしゃる。あなたはわしの信仰が足りないとでもおっしゃるのか!」 これに対して周囲の者がなだめにかかった。 「セルリ師がおっしゃられたのはそんなことではないでしょうに。」 「それよりも、早く本来の議題に立ち戻らなくては。もうこれ以上この問題にかかわってばかりいるわけにはいきませんぞ。他にも議題は山のようにあるのだから。」 この意見には、会議の参加者のすべてが納得した。 「わしの考えでは、その学生がそのような名を名乗る... ...続きを見る |
2008/05/06 00:12 |
第30話 荒野の説教者-5
ジュネーヴ学院が出した志願者の名簿にはあと数人しか名前は残っていなかった。その一人がディマンシュ・ブライユであった。 「この学生は飛びぬけて成績優秀で、ほとんど常に首席を維持してきました。出身はボルドーで、セヴェンヌに滞在したこともあり、かの地をよく心得ております。」 ジュネーヴ学院の教授の一人が彼を推薦した。しかしながら、ここでやはり例の問題が槍玉に上がった。 「しかし、この名はいったいどういうことかね。カルヴァン師の定めた規則を知り尽くしているはずのジュネーヴ学院が、学生にこんな名... ...続きを見る |
2008/05/05 09:36 |
第30話 荒野の説教者-4
会議にはジュネーヴ学院の教授たちだけでなく、ジュネーヴ市民の代表者も参加していた。カルヴァンによって、会議の場には、聖職者だけでなく非聖職者の代表も参加しなければならないと定められていたのである。 「このシブレットなる学生、妻帯者だということじゃが、学生の身で結婚などするような軽率な人間では、この厳しい任務は勤まらんのじゃないか。」 「しかしのう、お言葉じゃが、学生の身で結婚することがなぜ軽率といえるのかな。むしろ責任ある態度じゃと思うが。」 「いやいや、学業に打ち込むべき時期に女と暮ら... ...続きを見る |
2008/05/04 09:21 |
第30話 荒野の説教者-3
ディマンシュがアルに手紙を出してからまもなく、ジュネーヴの主要な職務についている人々の間で、セヴェンヌに派遣する説教者を決定する会議が開かれた。セヴェンヌの村から説教者の派遣を求める要請文が届いて以来、すでにこれまで幾度か会議が開かれていた。 最初の反応はどちらかと言えば重苦しいものであった。フランスでのカルヴァン派が非合法化されてもう十年以上になる。多くのユグノーが組織立った反撃をすることもなく国外に追い散らされていった。もちろん、これまでもジュネーヴに亡命してきた牧師たちが何人もフラン... ...続きを見る |
2008/05/03 00:35 |
第30話 荒野の説教者-2
それは彼の手紙にしてはめずらしく興奮した調子で書かれていた。 「アル、君にこれまでで最も喜びに満ちた便りを書くことができそうだ。といってもまだはっきりと決まったわけではないので、ぬか喜びは禁物だ。しかし、万が一それが実現しないということになっても、今この瞬間、ぼくの心がとてつもなく歓喜に弾んでおり、君にこんな手紙を書かずにはいられないということを知ってほしい。詳細を書くわけにはいかないが、現在ある事業について要員の募集がなされている。ぼくはその事業に志願することにした。自分で言うのもなんだが... ...続きを見る |
2008/05/02 11:36 |
第30話 荒野の説教者-1
これまでのあらすじ 1685年、フランスの絶対君主ルイ十四世は、信教の自由を定めたナントの勅令を廃止し、カトリック以外の宗教を禁じた。これまで共存していたユグノー(カルヴァン派のプロテスタント)とカトリックの人々との間には、深い対立が生じることになった。多くのユグノーがフランスから亡命し、あるいはカトリックに改宗していったが、南フランスのセヴェンヌには、心の底から改宗したのではない人々が数多く存在していた。 人々は自分たちの信仰を守り抜くために様々な試みをおこなっていた。そのうちの一つに... ...続きを見る |
2008/05/01 00:23 |
第29話 最強の門番-29
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2008/04/29 08:19 |
第29話 最強の門番-28
これでこの騒動が終わったと見るや、見物人は三々五々帰っていった。広場に残ったのは、ロランたち四人だけであった。ロランはひどく憔悴し、しょげていたが、縄をほどいてもらいながら、やがて、ぽつり、ぽつりとしゃべりだした。 「すまねえ…。本当に…。こんなにみんなに迷惑をかけることになるとは、思ってもみなかった…。」 「いやあ、まったくあの男の強さには驚いたぜ。いやはや、おれは今まであんな強いやつに出会ったことがなかった。ロラン、おまえ、あんなやつに勝負を挑んだのか。すげえじゃねえか。」 マゼル... ...続きを見る |
2008/04/28 11:53 |
第29話 最強の門番-27
マクシミリアンは眉を吊り上げて、ただでさえ恐ろしげな顔をいっそう迫力に満ちたものにしながら、ジャンの方へ近寄ってきた。ジャンはその場に踏みとどまり、観念したように目をつぶって頭を垂れた。 その光景をようやく意識を回復したアルとマゼルも見た。二人とも身体の自由はまだ利かなかったが、その分声を張り上げた。 「よせ! そんな小さな子に何をするんだ!」 「やめろ! あいつを殴るくらいなら、おれをもう一度投げ飛ばしてくれ!」 マクシミリアンはそんな声をものともせずに自分の拳骨に息を吹きかけて... ...続きを見る |
2008/04/27 09:15 |
第29話 最強の門番-26
マクシミリアンはその少年の存在にすぐに気がついた。 「おまえも、こいつの仲間か!」 マクシミリアンの声がとどろいた。ジャン・カヴァリエはその雷鳴のような声に直撃され、その場から動けなくなってしまった。何か言おうにも身体が震えて声が出なかった。しかし彼の代わりに、マゼルの下敷きになっていたロランが力を振り絞ってこう言った。 「よせ…、そいつは関係ねえ…。おれはそんなやつなど見たこともねえ。」 ロランはそう言いながら、必死でジャンに向かって目配せをした。 「あの男はそう言っているが、... ...続きを見る |
2008/04/26 09:56 |
第29話 最強の門番-25
大男がロランの方を向いているのをいいことにマゼルは男の背後に忍び寄ると、いきなり男の背中にしがみついた。 「アル、今だ! ロランを連れて逃げろ!」 アルはマゼルの声に応えて、ロランの縄をほどこうとした。しかし綱は固く結ばれ、なかなかほどけなかった。マゼルは自分が男の動きを封じているのに、アルがもたもたしているのに我慢ならなくなり、男の手から直接縄をもぎ取ろうとした。すると、マゼルがそうするのを待ち受けていたかのように、マクシミリアンは自分からさっと綱を離すやマゼルの腕を取り、そのまま投げ... ...続きを見る |
2008/04/25 08:56 |
第29話 最強の門番-24
「ロラン! そんなこと嘘だって言ってくれよ!」 アルが悲痛な叫びを上げたが、ロランが泣きそうな声でぽつりと言った。 「すまねえ…。みんなを巻き込むつもりなんかなかったんだ。」 それを聞いてアルは、この男の言うとおり、ロランがこの男の主人の屋敷に忍び込もうとしたことは確かなのだということがわかった。 ここでアルのとるべき道は二つしかなかった。そんなことをする人間は自分の仲間ではないと言って、この場から逃れ去ること、もう一つはロランがたとえどんな罪を犯したとしても、彼を見捨てないことで... ...続きを見る |
2008/04/24 06:31 |
第29話 最強の門番-23
アルの言葉に対して相手も言葉で応酬してきた。 「なら、この男が屋敷に忍び込もうとした罪をおまえも引き受けなければならない。」 「なんだって?」 「この男は、ご主人様の屋敷に塀を乗り越えて忍び込もうとしていたのだ。」 「そんなこと…、そんなことロランがするはずがない!」 「では、この男に尋ねてみるがいい。」 ロランはさっきからの事態の成り行きにあっけに取られていた。昨日自分がこの男にやられたのは、半ばは自分が手出しできない状況にあったからだと考えていたが、マゼルとの正面からの勝負で... ...続きを見る |
2008/04/23 06:45 |
第29話 最強の門番-22
マゼルのこぶしはうなりを上げながら相手の顔面に向かって行った。しかし、マゼル渾身の一撃はあえなくかわされて空を切り、その代わりに逆に相手の一撃をまともに顔面にくらってしまった。 「ぐあっ!」 マゼルは思わず手で顔面を押さえたが、その手のひらから血が滴りおちた。それを見てジャンは悲鳴を上げてその場にへたり込み、アルはマゼルのそばに駆け寄った。 「マゼル、大丈夫か?」 「ああ…、心配いらねえ…。こりゃただの鼻血だ…。」 そうは言うものの、マゼルはひどく苦しげであった。マゼルの顔面に... ...続きを見る |
2008/04/22 08:03 |
第29話 最強の門番-21
ジャンは群衆の中にもう一度戻ると、すぐにアルとマゼルを探した。マゼルは誰かれかまわず怒鳴りつけていたし、アルはそんなマゼルが喧嘩を引き起こしそうになるのを止めるのに苦心していたので、すぐに見つかった。そして、ジャンは自分が見たことを二人に話した。 「なんだって!」 「ロランのやつそんな目にあっていたのか!」 二人ともすぐに助けに行かなければ、ということで意見が一致した。しかしジャンは、ロランを捕らえている男の恐ろしさを語った。 「あいつ…、すごく大きくて、とてもこわい顔してるんだ。も... ...続きを見る |
2008/04/21 07:46 |
第29話 最強の門番-20
『しかし、あいにくだったな。おれはこの町に知り合いなんかいねえ。マゼルもアルもこの町の人間じゃねんだ…。』 そこまで考えた時、ロランはジャン・カヴァリエの存在に思い当たった。 『しまった…。ジャンは今この町のパン屋で働いているんだ。』 しかし、それについても、ロランはさほど心配することではないと自分に言い聞かした。 『なあに、ジャンは朝から晩まであの店で働かされているんだ。こんな広場にふらりとやってくるほど暇じゃねえはずだ。』 そう思いながら、ロランはふと顔を上げ、群集の方に目を... ...続きを見る |
2008/04/20 08:38 |
第29話 最強の門番-19
やがて馬はアンデューズに到着した。マクシミリアンはアンデューズの最も人通りの多い広場に馬をとめた。そこで、彼はロランを馬から降ろし、自分も降り立った。そして、ロランの綱の端を持ったまま、あたりを見回した。この異様な光景に気づいた人々が、一人、二人と立ち止まった。人の集まりはさらなる人を呼び、これからいったい何事が始まるのか、という好奇心に駆られながらも、大男に直接声をかけることは誰も恐ろしくてできなかった。そういうわけで、人だかりは次第に増えていったものの、誰も何のためにこんなことが行なわれて... ...続きを見る |
2008/04/19 08:03 |
第29話 最強の門番-18
ロランはすっかり自暴自棄になっていたので、自分を再び縛り上げるこの男の意図が何なのか、考えることすら大儀であった。彼は大男のなすがままに黙って従った。 マクシミリアンは縛り上げた男を地下室から外に連れ出した。抵抗もせずにおとなしく振舞うこの男にマクシミリアンは警戒心を緩めることはなかった。 『こちらを油断させ、隙を見て逃げ出すつもりなのであろう。しかし、最後まで付き合ってもらうからな…。』 マクシミリアンは用意させておいた馬にまたがると、自分の前にロランを引っ張りあげて座らせた。マク... ...続きを見る |
2008/04/18 10:01 |
第29話 最強の門番-17
しかし、これは彼にとってまた新たな苦しみの始まりであった。昨日の娘の言葉、それは彼が心に思い続けてきた姉娘のものではなく、妹娘のものであった。姉娘は自分の思いを心のうちに秘めていたので、ロランがそれを感知することはなかった。ロランにはそもそも娘が二人いるという認識はなかったので、それが彼女から発せられたものだと思い込んでしまっていた。そのことを思うと、急に胸が詰まってきた。食事を食べてしまったということは、自分が彼女のあわれみを受けるような弱い惨めな存在であることを自ら証明してしまったことにな... ...続きを見る |
2008/04/17 08:01 |
第29話 最強の門番-16
ロランが再び目覚めたのは次の日の朝だった。体中にひどい痛みを感じつつも、なんとか自分の意思で身体を動かせるようにはなっていた。いつの間にか縛めは解かれており、傍らにはパンと山羊の乳が置かれていた。こうした処遇から、少なくとも殺されるわけではないことだけはわかったが、自分がどうなるのか、まったく見当が付かなかった。ひどく空腹のはずなのに、食事に手を出そうという気力すら湧いてこなかった。 「食わないのか。」 部屋の外から野太い声がした。忘れもしないあの門番の声であった。ロランは横になったまま... ...続きを見る |
2008/04/16 09:08 |
第29話 最強の門番-15
ロランは実のところ、どこか遠くから若い娘の甲高い声が聞こえてきたときから、その意識は回復しつつあった。しかし、身体は金縛りにあったように、何も動かすことができなかった。ロランはまるで自分の意識が身体から離れて外にいるような感覚をもっていた。狭く重苦しい空間の中で自分の身体が横たわっているのをまるで他人事のように感じていた。しばらくすると、娘が自分の方に近づいてきたのだけはわかった。 『おい、目を開けろ! あの娘だぞ!』 ロランは自分の肉体に呼びかけたが、少しも反応しなかった。しばらくする... ...続きを見る |
2008/04/15 07:47 |
第29話 最強の門番-14
ジャックリーヌは検分の結果、自分の感想を述べた。 「汚いねえ…。おまけにひどいにおいがするし…。思い出した。こりゃ、アンデューズのごろつきに間違いないよ。」 「アンデューズの?」 「そうそう、あたしがお嬢様方とアンデューズにご一緒したときのことさ。パン屋の裏口のあたりで、こいつがいかつい大男の仲間と一緒に、小さな男の子を取り囲んで脅していたのさ。ま、パン屋の亭主に水をかけられて逃げてったくらいだから、たいした連中じゃなさそうだけどね。」 マクシミリアンはジャックリーヌの話を聞いて一安... ...続きを見る |
2008/04/14 10:24 |
第29話 最強の門番-13
しかし、マルトは自分の思いについて突き詰めて考えることはできなかった。そこにジャックリーヌが大声でわめきながら現れ、彼女の思考を乱してしまったからである。 「まあ、まあ、お嬢様方ったら、こんなところにいらしたのですか。早くご自分の部屋にお戻りください。召使の部屋などに来るものではございません。マクシミリアン、これはあなたが言うべきことですよ。」 マクシミリアンは、ジャックリーヌが何にでも小言めいた口調でしゃべることに慣れていたので、黙って一礼した。しかし、娘たちはそのような光景に心苦しさ... ...続きを見る |
2008/04/13 12:10 |
第29話 最強の門番-12
「さあ、もうおよろしいでしょう。」 マクシミリアンが言うと、二人はその場を離れた。 「でも、どうしてここに忍び込もうとしていたのかしら。」 マルトも同じことを思っていたのだが、カトリーヌの方が先にこの質問を口に出した。 「それをこれから問いただすつもりでございます。」 マクシミリアンの声にはえもいわれぬ迫力があった。マルトには彼がどのような方法で問いただそうとするのか想像できた。その時、彼女の心に痛みが走った。 『あんなに怪我をしているのに、マクシミリアンったら手当てもせずに…... ...続きを見る |
2008/04/12 10:19 |
第29話 最強の門番-11
マクシミリアンは、まず自分で格子の付いた扉の窓からロランを押し込めた部屋の中を覗き込んだ。ロランはここに運ばれた時のまま、横たわっていた。彼の服はあちこち汚れており、身体は傷だらけであった。マクシミリアンは、こんな対象に若い娘が興味を持ち続けることはないと考えた。若い娘が好むのは、愛らしい小動物、香りのいい草花、美しい小物や衣装などであって、こんな汚らしい男などではありえないと判断し、彼女らを呼び寄せた。娘たちは、あたかも凶暴な猛獣を見物するかのように窓からそっと中を覗き込んだ。彼女らはしばら... ...続きを見る |
2008/04/11 09:33 |
第29話 最強の門番-10
まだ子どもっぽさを多分に残した十三歳のカトリーヌは、ぷいっとふくれて見せた。マクシミリアンは実のところこのような嘆願に心動かされないわけではなかったが、静かに目を伏せることでしかその動揺を表に表さなかった。 一方、マルトはカトリーヌほど率直に自分の心のうちをさらけ出したりはしなかったが、彼女の好奇心もまた妹に負けないくらい強かった。十七歳のマルトは別な方面からマクシミリアンを説得しようとした。 「ねえ、マクシミリアン、おまえがわたしたちを悪から遠ざけておきたいという気持ちはよくわかるわ。... ...続きを見る |
2008/04/10 16:50 |
第29話 最強の門番-9
「お嬢様がた、ああいった悪人に関心を持つものではありません。恐るべき手合いかもしれませぬから。」 「恐るべき手合いですって…? マクシミリアンがいれば恐ろしいことなど何もないわ。」 姉娘のマルトは信頼に満ちた笑顔でマクシミリアンを見つめた。マクシミリアンは深々と礼をして、その厚意に応えた。 「そうよ。だって簡単に捕まえたんでしょう? それともずいぶん強かったっていうの?」 今度は妹娘のカトリーヌが無邪気に言った。 「いいえ。」 また、マクシミリアンは言葉少なにしか答えなかった。... ...続きを見る |
2008/04/09 09:02 |
第29話 最強の門番-8
マクシミリアンは、ぐったりした男を後ろ手に縛り上げると、肩に担ぎ、屋敷に連れ帰った。そして、地下の小部屋に閉じ込め、外から鍵をかけた。その隣がマクシミリアンの部屋である。 彼がそこで休息を取っていると、当家の姉妹マルトとカトリーヌがやってきた。彼女たちは、どんな事態が推移したのか知りたくてたまらない様子であった。 「ねえ、どうだったの、マクシミリアン?」 「ジャックリーヌが言ってた怪しい人影って、本当だったの?」 「はい。屋敷に忍び込もうとしていました。」 マクシミリアンは簡潔に... ...続きを見る |
2008/04/08 09:46 |
第29話 最強の門番-7
実のところ、ロランはこの門番がひどく恐ろしかった。不意をつかれたとはいえ、圧倒的な力の差を感じていた。しかしそれでも、いやそれだからこそ、この男の言うがままになることはできなかった。ロランは何とか力を振り絞って口を開いた。 「おまえには…、関係ねえや。」 「居直る気か!」 門番は怒りにまかせてロランを殴りつけた。これまでに十分過ぎるほど痛めつけられていたロランは、この殴打でとうとう意識を失ってしまった。 「ふむ、しかたがない…。」 門番のマクシミリアンはつぶやいた。彼はこの不審者... ...続きを見る |
2008/04/07 09:24 |
第29話 最強の門番-6
ロランの胃は空っぽだったので、口の中にすっぱい胃液が溢れてきた。ロランはそれでも縄を放すまいとしていた。しかし、縄の先は木の枝に絡まっていただけであったので、ロランの全体重が一時にかかる衝撃に耐えることができなかった。 あえなく外れた縄と共にロランの身体は落下し、自分を打ち据えた男の足元に無様に横たわる羽目になった。ロランは体中が痛み、とても動ける状態ではなかった。そして口の中にたまった胃液を二度三度吐き出した。しかし、なお男はロランの胸倉をつかみ、乱暴にゆすぶって問いただした。 「言え... ...続きを見る |
2008/04/06 09:59 |
第29話 最強の門番-5
しかし、彼はそこで何物かに足を取られ、派手に転んでしまった。彼の足を止めたのは、その丘に自生していた野生の葡萄のつるであった。ロランは傷だらけになりながらも痛みをこらえて何とか立ち上がった。 『そうだ、おれは何て馬鹿なことをしようとしていたんだろう…。この葡萄のつるがおれにそのことを教えてくれたんだ。』 彼が反省したのは、いったい塀を乗り越えてくる男の話に耳を傾ける娘がいるだろうか、ということではなく、何の装備もなしに塀を乗り越えることはできないということであった。 ロランは葡萄のつ... ...続きを見る |
2008/04/05 10:47 |
第29話 最強の門番-4
ロランは門番に見つからないよう、正門とは反対の方向に塀にそって歩き出した。屋敷の庭には樹木が立ち並び、それが屋敷の姿を覆い隠していた。塀の下を歩いているだけでは樹木が塀の上に顔を出しているところしか見えなかった。ロランは塀の周りを巡って中の様子が見えるようなところがないかを探って行った。しかし、塀は高く、樹木はさらに高かった。 更に裏手の方に行くと屋敷の背後に小高い丘があるのが見えた。ロランはその丘に上っていった。すると屋敷の姿が見えてきた。屋敷は石で作られた三階建てで、小さな窓が所々にあ... ...続きを見る |
2008/04/04 12:05 |
第29話 最強の門番-3
ロランは御者や老婆に気づかれないように、できるだけ身を小さくしながら馬車の後ろにしがみついていた。馬車は速足になり、そのまま西に向かって小高い丘の道を一時間ほど走っていった。ロランは、不思議に頭痛もしなければ、ずっとしがみついているというのに手の疲れを感じることもなかった。 前方にラ・サールの町が見えてきた。ロランは人に見られるのを警戒して馬車から飛び降りた。そういうことに配慮するだけの分別は失っていなかった。 馬車は街に入るとまた並足にまで速度を落とした。それは人間が早足で歩く速度と... ...続きを見る |
2008/04/03 08:17 |
第29話 最強の門番-2
なす術もなくアンデューズの町をうろうろしていたロランは、いつのまにか例のデュプランの店の前に来てしまった。 『そうだ…、ここだった。あの娘に見られたのは…。ああ…、おれはなんて取り返しのつかないことを…。』 ロランがまた発作に襲われそうになった時、店の中から客が一人出てきた。ロランはその客に見覚えがあった。それはあの時娘のそばにいた老女であった。ロランは老婆に自分の姿を見られないよう、さっと物陰に隠れた。 「やれやれ、旦那様もお嬢様方もこの店のパンがすっかり気に入ってしまわれ、おかげで... ...続きを見る |
2008/04/02 09:45 |
第29話 最強の門番-1
これまでのあらすじ 1685年、フランスの絶対君主ルイ十四世は、信教の自由を定めたナントの勅令を廃止し、カトリック以外の宗教を禁じた。これまで共存していたユグノー(カルヴァン派のプロテスタント)とカトリックの人々との間には、深い対立が生じることになった。多くのユグノーがフランスから亡命し、あるいはカトリックに改宗していったが、南フランスのセヴェンヌには、心の底から改宗したのではない人々が数多く存在していた。 そのような人々の中で、鍛冶屋のラポルトらを中心として、ジュネーヴから説教者を招請... ...続きを見る |
2008/04/01 11:06 |
第28話 尋ね人-30
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2008/03/30 09:30 |
第28話 尋ね人-29
「ジャン、すまねえ。おれはおまえの古くからの仲間だっていうのに、おまえの気持ちなんかさっぱりわかろうともせずに、おれの言うことばかり押しつけてたよな。おれを許してくれないか。」 ジャンは、マゼルやロラン、そして大人たちが不甲斐ないジャンを責め立てるのは当然のことだと思ってきた。だから彼らに反論もせず、周囲といっしょになって自分自身を苛み続けたのであった。しかし、今やそれは謝罪されねばならない行為となった。以前のマゼルの言葉は耳を素通りしただけだったが、今度の言葉は胸の中にまで入ってきた。 ... ...続きを見る |
2008/03/29 08:43 |
第28話 尋ね人-28
ジャンはマゼルの姿を見るなり、反射的に逃げようとした。しかし、それを予想していたアルがジャンを抱き留めた。 「ジャン、落ち着いてくれ、おれだよ、アルだ。」 「アル?」 ジャンは目をぱちくりさせた。 「そうさ。」 「こんなところまで来てくれたの。」 「当たり前じゃないか。おれたち兄弟になったんだから。」 ジャンはアルにしがみついた。ラコンブの農場から誰一人知った人のないところにやられ、慣れない仕事の苦労と心細さをずっと我慢していたのだった。 「ジャン、ところで、マゼルをちゃん... ...続きを見る |
2008/03/28 08:55 |
第28話 尋ね人-27
「食事の世話もそちらでしていただけるんですか。」 デュプランの問いにアルは即答した。 「もちろんですとも。」 デュプランはなおも考え込んでいたが、ついに「少々お待ちを」と言って奥に引っ込んだ。デュプランに連れられてジャン・カヴァリエが現れた時、自分の思い通りに事が運んだことで思わず歓声を上げそうになったが、それは彼が演じている役割にふさわしからぬものとしてなんとか我慢することができた。幸いだったのは、ジャンが新しく面倒な仕事を言いつかったことで意気消沈してうつむき、アルの顔をまともに見... ...続きを見る |
2008/03/27 08:56 |
第28話 尋ね人-26
店主はただのお客だと思っていたこの若者から出た思いがけない言葉に驚きながらも、彼の話しぶりが堂に入ったものだったので、話を最後まで聞く気になった。それに、マテュー・シャリューという名はたしかに、お得意先を記した帳面に記載されていたのを思い出していた。 デュプランがどんなに経験をつんだ商人であろうとも、アルには臆する気持ちはなかった。あの救貧院の院長に比べたらどんな人物であろうと恐ろしいとは思わなかった。アルの話にはどこにも嘘はなかったし、しかも、商人のつぼを突いていた。商人というものは儲け... ...続きを見る |
2008/03/26 08:18 |
第28話 尋ね人-25
「いらっしゃ〜い。何にいたしましょう。」 主人の愛想のいい声が響いた。 「ああ、これだ。この瓶詰めのお菓子だ!」 「ほお、うちのお菓子をご存知で。」 「ええ、以前にここのお菓子を食べさせてもらったのですが、まったく一口食べたら忘れられないすばらしい味ですね。」 「いや〜、お目が高い。今日はいくついたしましょ。」 アルはここぞとばかり、本題に入ることにした。 「実はですね。ひとつ商談があるんです。」 「といいますと?」 「つまり、このようにすばらしいあなたの店の品々を、もっと... ...続きを見る |
2008/03/25 10:42 |
第28話 尋ね人-24
『ああ、そうか…。あいつもずっと不安だったんだ…。』 ジャンの心情に気がついた時、マゼルは今までなぜやることなすことがうまく行かなかったのかがわかったような気がした。 『おれはどうやら何にもわかっちゃいなかったようだ。』 ふと横のアルを見ると、彼もちょうど目を開けたばかりであった。アルは穏やかな微笑を浮かべていた。そんなアルを見ていると、マゼルは今日こそは何もかもうまく行くように思えた。 「行こうか。」 マゼルが促すと、アルはうなずいた。 ...続きを見る |
2008/03/24 11:50 |
第28話 尋ね人-23
しかし、アルは精神を集中させて自分が思い描いている従兄との対話をしていただけで、マゼルが考えたように神に祈っているわけではなかった。一方、マゼルは神に祈った。 『どうか、神の栄光に浴することができるよう、おれに働きの場を与えてください。』 こう祈った後、マゼルの心には深く鋭い痛みが走った。それは、ジェデオン・ラポルトに横っ面を張り飛ばされた時よりも、もっと鋭くもっと深い痛みであった。 『おれは神に必要とされていない…?』 神のために働きたいという気持ちを人一倍持っているつもりでいた... ...続きを見る |
2008/03/23 09:49 |
第28話 尋ね人-22
アンデューズはいたって平穏であった。恋に狂った男が娘を追いかけ回しているなどといった騒ぎが生じている気配はなかった。それにしても、どうすればジャンに会って話ができるのか。マゼルとロランが行って水をかけられて追い払われたという話を聞いて、アルは一筋縄ではいかないことはわかっていた。 『こんな時、ディマンシュならどうするだろう…。』 アルは、何か困難に陥った時、そう考えるのが癖になっていた。アルは橋の上で立ち止まって考え始めた。 『アル、嘘をつこうとしてはいけない。嘘は必ず見破られる。これ... ...続きを見る |
2008/03/22 09:42 |
第28話 尋ね人-21
「なあマゼル、よそうよ。これじゃおれたち、完全に弱いものいじめしているみたいに見えるぜ。その太い腕に捕まえられただけで、もう懲りてるよ。それよりも早くロランを探しに行こうぜ。おれにはいい考えが浮かんだんだ。」 アルの提案にマゼルもすぐに応じた。マゼルにしても弱いものいじめをしていると思われるようなことはしたくなかったのである。マゼルが手を離すと、少年は一目散に他の弟たちのところに駆け出していった。 「で、いい考えって?」 「とにかくアンデューズに行こう。もともとおれたちはジャンに会いに行... ...続きを見る |
2008/03/21 09:41 |
第28話 尋ね人-20
「今度こそ、容赦しねえぞ!」 マゼルは弟たちの中の最年長者、すなわち次男坊を狙って捉えることに成功した。今度はアルも止めようとはしなかった。しつこくいたずらを繰り返されないためには、多少とっちめられた方がいいかもしれないと考えるようになっていた。首根っこを捕まれた少年はじたばたと暴れ、ひたすらわめいた。 「助けて! 殺される!」 「馬鹿言うな。お仕置きをするだけだ。」 マゼルは小僧の横っ面をひっぱたいてやろうと右手にはぁーっと息を吐きかけた。しかし、少年は金切り声でこう言った。 「... ...続きを見る |
2008/03/20 11:09 |
第28話 尋ね人-19
ロランの家を出た二人は、やっかいなことを自分たちが背負ってしまったのに気がついた。 「アル、ところで、おまえはどうするつもりなんだ?」 「マゼルには心当たりがあるんだろう。そんなこと言ってたじゃないか。」 「あるにはあるさ。しかも、山ほどな。なんせ、あいつはこのあたり一帯で去勢の仕事を頼まれていたんだからな。しかし、それを全部しらみつぶしに探すとなると…。」 「ちょっと待てよ。あいつの仕事道具はラポルトさんに没収されているんだぜ。」 「あ、そうか! 仕事ができないのにそんなところに行... ...続きを見る |
2008/03/19 10:26 |
第28話 尋ね人-18
父親の話によると、叱り付けた後、ロランはひどく神妙な顔つきをして反省の弁を述べたので、父親はこれで問題は解決したと思い込んでいた。しかし、そのあと、彼の息子はいつの間にか姿を消してしまっていたのだった。父親が自分の無理解が招いた結果であると考えたのも無理はなかった。幼い弟たちには心配をかけさせまいと、こうした事情は話さず、単に緊急の仕事が入って出かけているのだということにしておいた。彼らはその間、兄のやるべき仕事を引き受けると主張したのではあるが、彼らが単調で根気を必要とする仕事をやり遂げる上... ...続きを見る |
2008/03/18 09:32 |
第28話 尋ね人-17
父親は事情を語りだした。 「これまでにも、豚の去勢を頼まれて家を何日も留守にするときはあったが、そういう時には必ずそう言って出るんだ。黙って家を出て行くなんてこと、これが初めてなんだ。それに…。」 父親は少し言葉を濁していたが、やがて意を決したように話し出した。 「どうもこのごろ様子がおかしくて…、なんだかその…、奇行というほどでもないんだが…。」 「突然叫び声を挙げたりとか…?」 マゼルがその後を引き取った。 「ああ…、友達の前でもそんなふうだったのか…。」 父親は頭を抱... ...続きを見る |
2008/03/17 09:55 |
第28話 尋ね人-16
作業場の扉が開けられたとたん、マゼルは大声で怒鳴りつけた。 「馬鹿野郎!」 しかし部屋に入ってきたのは、ロランではなく、彼の父親であった。マゼルはそれがわかってあわてて口を押さえたがもう遅かった。 父親のジャン・ラポルトは、ロランに似てすらりとした精悍な顔立ちと体つきの人物であった。いつもなら若い男に乱暴な口をきかれて黙っているような男ではなかったが、この時の彼はすっかり覇気を失っていた。マゼルがばつの悪そうな顔をしているのを見て、彼に悪気がないことがわかると、そんなことはどうでもい... ...続きを見る |
2008/03/16 08:50 |
第28話 尋ね人-15
マゼルは悪童たちに拳骨を振り上げながら言った。 「もう怒った! おまえたち、ひどい目にあわせてやる。」 しかし、マゼルの怒りの鉄拳は振り下ろされることはなかった。やっとの思いで網から抜け出したばかりのアルがその手を止めたからであった。 「待てよ。こんな子どもら相手に大人気ないじゃないか。」 その間に三人は蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。 「馬鹿野郎! ああいう手合いにはお仕置きが必要なんだ。よくも邪魔しやがったな。」 マゼルの矛先は今度はアルに向けられた。 「大人気な... ...続きを見る |
2008/03/15 11:56 |
第28話 尋ね人-14
さて、アルとマゼルがロランを訪ねていった時、ロランはというと、いつもの作業場には彼の姿は見えなかった。二人がきょろきょろしていると、突然何かが降ってきた。 「な、何だ!」 それは網であった。彼らはその網にすっぽりと捕らえられてしまった。高く積まれたかごの中に小さな男の子たちが隠れていて、部屋に入ってきた者たちに投げつけたのであった。マゼルは下手人が誰だか見定めると、大声で怒鳴った。 「何するんだ! おまえたちいい加減に馬鹿ないたずらはやめろ!」 それはロランの弟たちだった。彼らはマ... ...続きを見る |
2008/03/14 08:44 |
第28話 尋ね人-13
一方、マゼルは自分がそういった活動に何の役にも立てないままでいるのが悔しくてならなかった。早く復帰の条件を満たそうとしても、以前の失敗とロランの変調を考えると、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。そこで彼はしかたなくアルに助力を要請することにした。 アルは、人に頭を下げることの大嫌いなマゼルが自分に頼みごとをしてくるということはよほど困り果ててのことであろうと考えて、二つ返事で協力することにした。アル自身もジャンに再会したいと思っていたのだし、これを機に彼らと親交を深められることは... ...続きを見る |
2008/03/13 11:00 |
第28話 尋ね人-12
「もっと早くわしの所を訪ねてきてくれたらよかったのに。」 コルネリー氏が言うのに対して、エスプリ・セギエは厳かな調子でつぶやいた。。 「すべては聖霊(エスプリ)の導くままに…。」 コルネリー氏はさっそく彼を歓待するため、食事を用意させようとした。しかし、彼はそれを断った。 「わしはそのようなものを乞い求めに来たのではございません。わしが求めているのは魂にとっての滋養でございます。コルネリー殿なら必ずやお聞き届けてくださると聖霊の指図を受けて参ったわけです。」 「わしに何をしろとい... ...続きを見る |
2008/03/12 09:50 |
第28話 尋ね人-11
国王の兵士に殺害された公証人のアンドレ氏の悲劇についてはコルネリー氏もよく知っていた。アンドレ氏の運命は明日の自分の運命かもしれないと、セヴェンヌの人々で考えない者はいなかった。しかもコルネリー氏はアンドレ氏と旧知の仲であり、互いの屋敷によく出入りをしていた。先ほどのコルネリー夫妻の間で名前の出たサルガ男爵も、このアンドレ氏を介した交友関係の一人であった。したがって、アンドレ氏の屋敷での礼拝の常連であったセギエとコルネリー氏が互いに旧知の間柄であったのは当然であった。 「ピエール、あれから、... ...続きを見る |
2008/03/11 09:04 |
第28話 尋ね人-10
そのマクシミリアンが珍しく、ある一人の訪問者をコルネリー氏にとって危険のない者と見て、門を開けて通した。しかし、その次にはジャックリーヌが待ち受けていた。マクシミリアンは武勇こそ優れてはいたが口数の少ない男であった。ジャックリーヌはマクシミリアンが通したこの男をさらに厳しく吟味した。しかし、この男はジャックリーヌのおめがねにもかなったのである。 コルネリー氏はこの厳しい関門を通り抜けてきた男をさっそく迎え入れた。しかし、彼らが太鼓判を押したこの人物はひどくみすぼらしいなりをしていた。そして... ...続きを見る |
2008/03/10 11:04 |
第28話 尋ね人-9
「このまま何も変わらないよりましかもしれませんわ。」 「いや、きっと変わる時が来る。主はわれらをお見捨てになることは決してない。」 「そうお考えでしたら、もっとお心を広くお持ちなさいな。マルトにもきっと主の御心にかなう相手が見つかることでしょう。」 結局、いつも夫人がこういう結論になるように持っていくのだった。コルネリー氏はその時は納得しても、しばらくたつとまた何か愚痴を言う種を見つけては妻に話しかけるのであった。それはもしかしたら妻に自分の無聊を慰めてもらうひとつの手段であったのであろ... ...続きを見る |
2008/03/09 11:03 |
第28話 尋ね人-8
貴族というものは労働をしないことになっていたが、セヴェンヌに住む小貴族の中には所領からの地代だけでは暮らしていけずに、半ば自作農と化している者もあった。バヴィル知事はそんな貴族を「百姓貴族」と呼んで軽蔑し、社交界の場に呼ぶことは決してなかった。したがって、マルト・ド・コルネリーに、彼女の父親が望むような縁談が来る可能性はほとんどなかった。 「いっそ、ジュネーヴに移住なさいますか。あちらなら、マルトのように気立ての優しい家事にたけた娘は引く手あまたですわ。詩編歌を歌うのにこそこそと隠れる必要も... ...続きを見る |
2008/03/08 09:32 |
第28話 尋ね人-7
「あなたったら、またそのお話ですの。それほどマルトを結婚させたいなら、おととしサルガ男爵が後妻を求めているというお話があった時に応じればようございましたのに。」 「しかしだな、あの時マルトはまだ十五歳だったのだよ。それを五十男の後妻になどと、とんでもない話だ。」 「それをおっしゃるなら、サルガ男爵も四十八、九でしたわ。まだ男盛りと言ってもよろしかったでしょうに。あの方もミサには出席しておられないのに、近衛銃士隊の将校をなされていたというご立派な経歴から、さすがのバヴィル知事もうかつには手を出... ...続きを見る |
2008/03/07 08:45 |
第28話 尋ね人-6
一方、こちらはアンデューズの西方にあるラサールの村である。アンデューズから徒歩なら三、四時間はかかるが、馬車なら一時間ほどの距離である。この村にコルネリーという貴族の屋敷がある。コルネリー氏は新改宗者の中でも、実のところ心からの改宗者ではなかった。カトリックの教会のミサに行くこともなく、今もひそかに屋敷内で聖書を読み、詩編歌を歌っていた。 コルネリー氏には二人の娘があった。一人はマルトという十七歳になったばかりの娘で、もう一人はカトリーヌという十三歳の少女である。娘を持つ父親の例に漏れず、... ...続きを見る |
2008/03/06 10:48 |
第28話 尋ね人-5
マゼルは筋肉のみなぎった腕でロランを張り飛ばした。するとロランは恍惚とした表情でこんなことを言うのであった。 「ああ…、もっと殴ってくれ。この痛みがある間だけは、何も見なくてすむ…。」 マゼルはぎょっとしてつぶやいた。 「こいつは、そうとう重症だぞ…。」 ロランにこのような苦しみを与えたのは、もちろんアンデューズのパン屋の前で出会った娘であった。彼女の嫌悪の表情が脳裏に焼きついてはなれないのである。 『ああ、なんだっておれは…。あんな馬鹿な真似を…。なぜもっと辛抱強くジャンと話が... ...続きを見る |
2008/03/05 08:32 |
第28話 尋ね人-4
マゼルは考えた。男がこれほどまでも理性を失う理由といえば、女のことに違いないと思われた。 「女か…?」 マゼルはぽつりと言ってみた。 「なぜわかる!」 ロランはびっくりしたようにマゼルを見つめた。 「やっぱりか…。おまえもまあ、色気付きやがって。まったく春だなあ。」 マゼルは小馬鹿にしたように首を振った。 「春? これが? 真冬の寒さよりもずっと冷たい…。おれはもう凍り付きそうだ。」 ロランはそう言うとまた頭を抱えだした。 「なんだ、なんだ。おまえらしくねえなあ。この... ...続きを見る |
2008/03/04 09:52 |
第28話 尋ね人-3
「アンデューズ?」 「ジャンと仲直りしなきゃ、ラポルトさんはおれたちのこと許してくれねえんだぞ。おまえのデュランダルだって取り上げられたままになってるんだろう。」 「デュランダル…?」 「おい、まさかおまえが命の次に大切にしている相棒のこと忘れたって言うんじゃねえんだろうな。」 「いや、デュランダルとおれは一心同体なんだ。」 そう言うロランの顔つきは以前のようにしゃんとしたものであった。 「おう、それでこそロランだ。さあ、こんな仕事なんか、ぱっぱと終わらせてしまって早く出かけようぜ... ...続きを見る |
2008/03/03 10:37 |
第28話 尋ね人-2
まだ処理されていない羊の毛の入ったいくつものかごに囲まれて、ロランは梳き櫛を持った手を機械的に動かしていた。羊の毛の梳き櫛というのは、大きめのおろし金のような形の木の板の片面にハリネズミの背のようにびっしりと針をつけたものである。それを両手に一つずつ持って、その間に羊の毛を挟み、梳き櫛の一つを一定方向に動かして使用する。単純な作業ではあるが根気が必要である。 しかし、マゼルが見るに、ロランは根気どころか、正気さえも失っているように見受けられた。マゼルの呼び声にもまったく反応せず、魂の抜けた... ...続きを見る |
2008/03/02 11:57 |
第28話 尋ね人-1
これまでのあらすじ 1685年、フランスの絶対君主ルイ十四世は、信教の自由を定めたナントの勅令を廃止し、カトリック以外の宗教を禁じた。これまで共存していたユグノー(カルヴァン派のプロテスタント)とカトリックの人々との間には、深い対立が生じることになった。多くのユグノーがフランスから亡命し、あるいはカトリックに改宗していったが、南フランスのセヴェンヌには、心の底から改宗したのではない人々が数多く存在していた。 そのような人々の中で、鍛冶屋のラポルトらを中心として、ジュネーヴから説教者を招請... ...続きを見る |
2008/03/01 12:39 |
第27話 ロラン、またはオルランド-28
ジャンの泣き声を聞きつけて不審に思った店長のデュプランが店から出てきたのである。 「おまえたち、まだこんなこんなところでうろうろしていたのか。店の前で騒ぎを起こされちゃあ、大の迷惑だ。今もお客が入ろうとしていたのに行ってしまったじゃないか。しっしっ!」 デュプランはそう言いながら、汲み置きの水を二人に向かって撒いた。二人は濡れ鼠になってしまった。とばっちりを食ってやっぱりびしょぬれになったジャンに、デュプランは、さっさと中に入って着替えるように命じた。 「友達は選ばんといかんぞ。あんな... ...続きを見る |
2008/02/28 12:27 |
第27話 ロラン、またはオルランド-27
ロランは立ち去る娘たちの後ろ姿を呆然と見送るばかりであった。 「お姉様、今何があったの。」 妹は姉に尋ねた。 「ジャックリーヌの言うとおり、見ない方がよかったわ。とても恐ろしい顔をした人がいたのよ。小さな男の子をいじめていたわ。」 「まあ!」 「お嬢様方、わたくしの言うことに間違いはございませんでしょう。さっ、早く帰りましょう。」 「でも、あのままでは…。」 姉娘はいじめられていた男の子のことが気になってきた。 「お嬢様が心配することではありません。あのような輩にはきっと神... ...続きを見る |
2008/02/27 13:15 |
第27話 ロラン、またはオルランド-26
ロランはしまったと思ったがもう遅かった。ロランにとって運の悪いことがもうひとつあった。ちょうどその店の前をさっきの娘たちと老婦人が通りかかったのである。老婦人はさっと手を挙げると娘たちの目をふさごうとした。 「見てはなりません。目が腐ります。」 しかし、この老婦人の忠誠心がいかにすばらしいものであろうと、二人の目を同時にふさぐことはできなかった。妹娘の方は何が起こっているのかを見ることができなかったが、姉娘の方は妹娘よりも少し背が高かったこともあって、老婦人の手は完全に届かず、したがって... ...続きを見る |
2008/02/26 08:39 |
第27話 ロラン、またはオルランド-25
「よお。ジャン。」 目の前にはマゼルとロランがいた。ジャンは二人を見るなり、がたがたと震えだした。それはもう反射的なものであった。そして目をつぶり耳をふさぐと亀のように首をすくめた。 「そんなにこわがるんじゃねえよ。おれたちは謝りに来たんだ。おいこら、聞いてるか。今までのことはおれたちが悪かったって言ってんだよ。ちゃんと話がしたいんだから、ちょっとそこまで顔を貸しな。」 マゼルとロランが口々に語りかけた。彼らはできる限り優しい物言いをしたつもりであったが、ジャンには「おいこら」だの「顔... ...続きを見る |
2008/02/25 08:45 |
第27話 ロラン、またはオルランド-24
店を出て横の路地で作戦を練ろうとした二人ではあるが、その必要がないことに気が付いた。ちょうど店の裏口からジャンがゴミを捨てに出てきたところを見つけたのである。 ...続きを見る |
2008/02/24 08:43 |
第27話 ロラン、またはオルランド-23
この言葉と態度にロランは思わず頭に血が上り、腰に手をやった。しかし、彼の忠実なる相棒はそこにはいなかった。それに気が付くとロランはマゼルに言った。 「出直そう。」 「えっ。諦めが早いじゃねえか。」 「いや。頭を冷やすだけだ。」 ロランは静かに言って店を出た。 『危ない、危ない。デュランダルがここにあれば、またとんでもないことをしてしまうところだったぞ。』 マゼルも一人ではどうしようもないのでロランに続いて店を出た。そんな二人の背中に店主の罵声が響いた。 「おととい来な!」 ... ...続きを見る |
2008/02/23 09:39 |
第27話 ロラン、またはオルランド-22
次から次へと繰り出される店主の口上に、二人は何も言うことができないまま差し出された菓子のかけらを口にほおばることになった。 「うまい!」 二人は同時に叫んだ。 「そうでしょう、そうでしょう。で、どれになさいますか。この大瓶に入ってる分がお得ですよ。」 もう少しで余計な買い物をさせられそうになるところを二人はなんとか断り、本来の用件を告げた。 「おれたち買い物をしに来たんじゃなくて、この店で働いているジャン・カヴァリエに会いに来たんです。」 それを聞くと店主はがらっと態度を変え... ...続きを見る |
2008/02/22 08:56 |
第27話 ロラン、またはオルランド-21
しばらくしてようやくマゼルがロランの待っている場所にやって来た。 「遅いなあ。」 ロランが文句を言ったが、マゼルは平然として言った。 「そうか? 今が約束の時間だろうに。おまえが早く来すぎたんじゃねえのか。」 マゼルにそう言われてロランは何か言い返そうと思ったが、こらえることにした。 「まあ、いいや。さっさとデュプランさんの店に行こうぜ。」 「おう。」 二人は通りを歩いていった。さほど大きくもない町だったので目的の店はすぐに見つかった。 「さて、中に入って声をかけてみるか... ...続きを見る |
2008/02/21 08:20 |
第27話 ロラン、またはオルランド-20
「このわたくしを置いていくものではありません。」 老婦人は娘たちの後を追いかけながら言った。 「お嬢様方、どうかお気をつけください。町にはごろつきがうようよしているものです。」 耳慣れぬ言葉を聞いて妹娘が言った。 「ごろつきって、どんな人なの?」 「お嬢様、そんな汚らわしい言葉を口に出すものではありません。」 これに対してすかさず今度は姉娘が言った。 「ジャックリーヌ、おまえが今口に出したじゃないの。」 「わたくしはいいのです。お嬢様方をお守りする立場ですから、この世の悪し... ...続きを見る |
2008/02/20 11:10 |
第27話 ロラン、またはオルランド-19
しかし、実のところ、娘たちはロランが変な顔をしているところを見て笑っていたのであった。 「お姉様、今のごらんになった?」 「ええ、あの人、いったいなにをしているのかしら。百面相の練習かしらね。」 この娘たちの一方はまだ少女であったが、もう一方はもうすでに年頃の女性であった。似た顔立ちをしているので、二人が姉妹であることはあきらかだった。馬車からはもう一人背の低い老婦人が降りてきた。 「お嬢様方、こんなところで降りておしまいにならずに、店の前まで馬車で乗り付ければよろしいでしょうに。」... ...続きを見る |
2008/02/19 08:27 |
第27話 ロラン、またはオルランド-18
豊かな黒髪に縁取られたロランの顔は、まだ生えかけのあごひげを手入れもせずに放置している点を除けば、むしろ端正な部類に入る方であった。やや釣り上がり気味の眉と目も、彼の意志の強さを表すものとすれば、人に好感をもたれてもいいくらいのものであった。しかし、今問題になっているのはジャンと優しく穏やかな話ができるかどうかであった。彼は指で目尻を下げて笑い顔を作ってはみたが、単に奇妙な顔になっただけであった。 その時ロランの耳には若い娘の笑い声が聞こえてきた。さっと顔を上げて、笑い声のした方向を見ると... ...続きを見る |
2008/02/18 08:10 |
第27話 ロラン、またはオルランド-17
それから数日後、アンデューズの街角に二人の若者が現れた。マゼルとロランであった。アンデューズというのは、ラコンブの農場のあるヴェゼノーブルから西に三、四時間ほど歩いたところにある町である。アレスからヴェゼノーブルへと流れるガルドン川は、正式にはガルドン・ダレス川と言い、ヴェゼノーブルの南方でもう一つの支流、ガルドン・ダンジューズ川と合流していた。ヴェゼノーブル村からはこのガルドン・ダンジューズ川を遡るとアンデューズに至るのである。ロランの家はこの川のさらに上流にあるので、二人は直接アンデューズ... ...続きを見る |
2008/02/17 09:28 |
第27話 ロラン、またはオルランド-16
一方、ラポルトたちは、アルがラテン語の勉強をしていたのはその従兄の指図によるものではないかと考えた。三人とも、芯の強さと寛容さを合わせ持った他の若者とはどこか違うアルの人格に、その人物が多大な影響を与えていると感じた。 「さて、マゼルにロラン、おまえたちにはまだもう一つやらなければならないことが残っている。」 ラポルトがまた厳しい口調で言ったので、二人に緊張が走った。 「おまえたちはジャンにも誤解を与えている。あいつに謝って、我々のしていることをあいつにわかるようにていねいに話してやる... ...続きを見る |
2008/02/16 10:31 |
第27話 ロラン、またはオルランド-15
「アル、おまえにそんな兄がいたのか。たしか兄弟はいなかったように思うが。」 ラポルトが驚いて言った。 「あ、そうか、ラポルトさんとは顔を合わせたことがなかったっけ。ボルドーで生まれ育った従兄なんだ。セヴェンヌには一年もいなかったな。そして、ジュネーヴ学院で勉強したいと言って、ここを発ってしまったんだ。もう五年になるかなあ…。」 「ふうむ。ジュネーヴ学院の学生なのか…。もしかしたら、そのおまえの従兄が説教者に選ばれて戻ってくることになるかもしれないな。」 ラポルトがなにげなく言った言葉... ...続きを見る |
2008/02/15 10:27 |
第27話 ロラン、またはオルランド-14
ラポルトの話によれば、セヴェンヌの隠れユグノーたちの間で密かに、ジュネーヴから説教のできる者を招聘しようという計画が立てられているということであった。しかし、セヴェンヌで説教を行なうのは命がけである。以前、若い説教者が発見されて火あぶりになったことは、この場に集まった四人のすべてにとって鮮明な記憶として残っていた。招いた説教者の安全を確保するためには、様々な準備と資金とが必要になる。 マゼルとロランは、ラポルトからその計画を打ち明けられた時、一も二もなく賛成し、資金集めに精を出したのだった... ...続きを見る |
2008/02/14 11:50 |
第27話 ロラン、またはオルランド-13
しかし、そう言われても、さっきまでいきり立っていたアルの気持ちはすっかり萎えていた。 「もういいよ。おれは荷物が無事ならそれでいいんだ。殴るだの何だのって、そんなことしたくないよ。」 そう言うとアルは棍棒を表に投げ出した。 「アル、おまえはなんていいやつなんだ。」 マゼルが立ち上がり、アルの手を握った。ロランも立ち上がって、二人の手の上に自分の手を重ねた。 「許してくれ…。もう、あんな馬鹿げた真似は二度としねえ。」 アルはこの二人が根っからの悪人でないことがわかってほっとした... ...続きを見る |
2008/02/13 11:09 |
第27話 ロラン、またはオルランド-12
「だいたい想像はつく。」 ラポルトが自分の考えを述べ始めた。 「アル、おまえはこの二人にひどい目にあったのだろう。すまないことをした。二人にその罰は既に与えておいた。しかし、それではおまえの気が済むまい。すべてはおれに責任がある。さあ、その棒でおれを思う存分殴るがいい。」 ラポルトは服の前をはだけると、その胸をむき出しにしてアルの前にひざまずいた。しかし、無抵抗の人間を殴れと言われてもそうやすやすと殴れるものではない。ましてや、ラポルトには何の恨みがあるわけでもなかった。 「…。」 ... ...続きを見る |
2008/02/12 08:34 |
第27話 ロラン、またはオルランド-11
ラポルトの話の途中で、豚小屋の入り口から、誰かが大声で叫びながら棍棒を振りかざして入ってきた。ラポルトは振り向くと即座にその棍棒を受けとめた。襲撃者はすぐに観念して目をつぶった。よく見ればまだ若い青年で、しかもラポルトには見覚えがあった。 「もしかして…、おまえ、アルじゃないか。」 「ラポルトさん?」 アルは驚いて目をぱちくりさせた。 「いったい何のつもりだ。」 ラポルトに問いただされて、アルはこう言うしかなかった。 「その…、忘れ物を取りに来ただけです。」 「忘れ物を取りに... ...続きを見る |
2008/02/11 11:34 |
第27話 ロラン、またはオルランド-10
「どうやらおまえに去勢の仕事を紹介したのは間違いだったようだな。」 ラポルトはロランに詰め寄った。 「さあ、出すんだ。」 「だ、出すって…?」 「おまえのデュランダルをだ。」 「そ、それだけは…。」 「馬鹿者! おまえに刃物を使って脅されたという話がいくつもおれの耳に入っているんだ。」 「それは…、つい…。」 「弁解は聞きたくない。」 ラポルトはそう言うとロランの頬にも平手打ちを食らわせた。 「さあ、同じことを二度も言わせるな。」 ロランはすっかり覇気を失って小刀を差... ...続きを見る |
2008/02/10 09:58 |
第27話 ロラン、またはオルランド-9
「これは人の荷物じゃないのか。」 ラポルトは厳しく問いただした。マゼルはそうであると認めるしかなかった。すると、ラポルトの平手打ちがマゼルの頬に飛んだ。 「馬鹿! 我々が何のために資金を集めているのかわかっていたら、こんな真似は死んでもできないはずだ。」 そう言うとラポルトはマゼルのさらにもう片方の頬を打った。マゼルはひたすら恥じ入るばかりであった。 「どうもおまえたちについては、おれの耳に悪い噂が入ってくる。初めは裏切り者を警戒しての芝居だと大目に見ていたが、それがよくなかった。マ... ...続きを見る |
2008/02/09 10:14 |
第27話 ロラン、またはオルランド-8
「けっこう重いな。財布でも入ってやしねえかな。あいつ、そもそもこないだの勝負でおれに負けたくせに約束の金を払っていねえんだ。」 マゼルはその約束を取り消したことを忘れたのか、自分勝手な言い分を並べて荷物の中を探り始めた。するとそこへもう一人の人物、ジェデオン・ラポルトがやって来た。彼らはこの豚小屋を秘密の待ち合わせ場所にしていたのだった。 「マゼル、何をしているんだ。」 鍛冶屋のラポルトのどっしりした声が響いた。 マゼルはそう言われて、びくっと荷物を取り落とした。するとその中からラ... ...続きを見る |
2008/02/08 12:56 |
第27話 ロラン、またはオルランド-7
マゼルの考えに対してロランが異議を唱えた。 「ラコンブさんはケチだからこんな話には乗らねえかもしれねえぜ。だって、ジャンに給金を払っていないじゃねえか。おれはジャンに代わってラコンブさんに文句を言ってやるつもりでいるんだが、肝心のジャンがあんな調子じゃあな…。」 「そのジャンだがな、もうここにはいねえんだ。アンデューズのデュプランさんとこの小僧にされちまったぜ。」 「へええ、そりゃまた…。でも、ジャンにとってはその方がよかったかもしれねえな。今のままなら、給金ももらえずにこき使われるばか... ...続きを見る |
2008/02/07 12:19 |
第27話 ロラン、またはオルランド-6
どうしてこういう状況になったのか、少し時間を巻き戻して見てみることにしよう。 マゼルとロランは逃げていくアルを見て大笑いした。 「やっとあいつに一泡吹かせてやることができたぜ。何かとくそ生意気なやつだったがな。」 マゼルが言うと、ロランも不敵な笑いを浮かべて愛刀デュランダルを腰の鞘にしまいながら言った。 「こんな脅しにびびるなんて、あいつも案外たいしたことねえな。おれの大切な相棒を、誰があいつの汚ならしいものになんか触らせるもんか。」 ロランがそう言うと、二人ともまた大笑いした... ...続きを見る |
2008/02/06 13:12 |
第27話 ロラン、またはオルランド-5
『どうもあいつが悪党の親玉らしいぞ…。もしかして、マゼルたちはあいつに命令されて人から金を巻き上げているのかもしれない。』 アルはそう考えると覚悟を決めた。 「やあああああ!」 アルは大声で叫びながら豚小屋の中に突進し、その親玉と思われる男に棍棒で殴りかかった。 しかし、男はさっと振り向くとその棒を太い腕ではっしと受けとめた。 『しまった。もう駄目だ…。』 アルは三人の男たちに袋叩きになる自分を想像して思わず目をつぶった。しかし、そうしたことは何事も起こらなかった。 「もし... ...続きを見る |
2008/02/05 11:56 |
第27話 ロラン、またはオルランド-4
後ろから二人の高笑いが聞こえてきた。アルは悔しくて仕方がなかったが、どうすることもできなかった。アルはすごすごと宿舎に戻って、自分の寝台の上で横になった。しかし、アルは自分のふがいなさに歯がみするばかりで少しも眠れなかった。そのうちアルはたいへんなことに気がついた。豚小屋の中に自分の荷物を置き忘れてきたことを。そこにはあれほどの思いをして手に入れたラテン語の辞書も入っていたのである。アルは迷ったが、彼らがその荷物を物色し、辞書をめちゃくちゃにしてしまっているのではないかと思うと、もう居ても立っ... ...続きを見る |
2008/02/04 11:15 |
第27話 ロラン、またはオルランド-3
ピエール・ラポルトは、この去勢の仕事がいたく気に入った。彼は熱心に練習に励んだ結果、短期間のうちにめきめきとその技術を上達させた。そして去勢に使う小刀に「デュランダル」という名前をつけた。その時から、彼は「ロラン」と自称するようになった。人々は彼の手さばきの見事さに感嘆すると同時に、この青年に気の短いところがあることから、彼を「ロラン」と呼ぶことに何の抵抗もなかった。彼は、気に入らないことがあると何をしでかすかわからないという眼で見られていたのである。ロランことピエール・ラポルトは他人からそう... ...続きを見る |
2008/02/03 10:50 |
第27話 ロラン、またはオルランド-2
ピエール・ラポルトはとにかく強くなりたかった。セヴェンヌにやってきた吟遊詩人から『狂えるオルランド』の一節を聞いて以来、彼は「ロラン」のような不死身の剣士に憧れ続けていた。しかし、彼は長男として、なくてはならない家の働き手であることを期待されていた。ラポルト家の仕事は、刈った羊毛を毛糸にまで仕上げ、それを機織りの機械を所有している親戚の家に届けることであった。運搬や染毛は父親が行い、彼には毛梳きが割り当てられた。彼は来る日も来る日も、刈った羊の毛の山に埋もれて、それを毛梳き櫛で梳いていた。その... ...続きを見る |
2008/02/02 13:48 |
第27話 ロラン、またはオルランド-1
これまでのあらすじ 1685年、フランスの絶対君主ルイ十四世は、信教の自由を定めたナントの勅令を廃止し、カトリック以外の宗教を禁じた。これまで共存していたユグノー(カルヴァン派のプロテスタント)とカトリックの人々との間には、深い対立が生じることになった。多くのユグノーがフランスから亡命し、あるいはカトリックに改宗していったが、南フランスのセヴェンヌには、心の底から改宗したのではない人々が数多く存在していた。 ...続きを見る |
2008/02/01 13:35 |
第26話 手と手-29
マゼルは二人を見比べると、見知らぬ男の方に近寄って親密そうに語りかけた。 「ロラン、どうしてこいつがここにいるんだ。」 「おれも驚いているんだ。」 ロランと呼ばれた男もまた親しげにマゼルに話しかけた。この二人の様子を見てアルは思わず叫んだ。 「おまえたち、仲間だったのか!」 「ああ、そうさ。」 マゼルはそんなことは常識だとでもいったふうに答えた。 「二人で何の悪だくみを企んでるんだ?」 「おれたちが悪だくみ?」 マゼルとロランは口々に言った。 「おれたちのこと何も知ら... ...続きを見る |
2008/01/29 10:20 |
第26話 手と手-28
そんなことがあってからしばらくの間マゼルはおとなしかった。アルは特に不愉快な目にあうこともなく仕事をすることができた。しかし、ただひとつ難点があった。ジャンの部屋で一緒にしようと思っていたラテン語の勉強ができないということであった。皆と一緒の部屋では、好奇の眼で見られたり、あるいはマゼルにちょっかいを掛けられたりするのは必至であった。 しかし、アルはそういった邪魔の入らないいい場所を見つけた。仕事の終わった時間に豚小屋に行く者は誰もいないことにアルは気づいたのである。アルは、毎日二度、仕事... ...続きを見る |
2008/01/28 14:59 |
第26話 手と手-27
アル自身もこの頑(かたく)なな手と共同戦線を張るべきだと考えるようになった。 「そんなことは当たり前だ。それより、ジャンの行き先を教えてくれ。知ってるんだろう。」 「何? それはおまえが勝ったらという条件だっただろう。」 「さっきの条件は無しだと言ったばかりじゃないか。もう勝負とは無関係だ。」 「ふん、誰が教えてやるものか。」 そうは言ったもののマゼルの額には脂汗が浮かんでいた。どうやら彼には一人で済ませたいのっぴきならない用事が生じたようであった。 「ちょっとこっちに来い。」 ... ...続きを見る |
2008/01/27 08:32 |
第26話 手と手-26
しかし、アルの反撃もそこまでだった。この行為で消耗しきったアルの手の甲はあえなく卓の上に押し付けられてしまった。 勝負が終わっても、二人はぜいぜいと息を切らせながら、しばらくそのままの姿勢でいた。最初に口をきいたのは勝者のマゼルだった。 「おい、手を放せ。」 マゼルはぼそっとつぶやいた。アルはまだ呼吸が元に戻っていなかった。そのうつろな眼は、勝負がついたのがまだ理解できていないようであった。 「放せったら!」 マゼルは大声でどなった。そう言われて、アルははじめて我に返った。 ... ...続きを見る |
2008/01/26 12:15 |
第26話 手と手-25
二人が手と手を握り合った瞬間に始まりの合図が告げられ、マゼルは猛獣のような雄たけびを上げながら一気に力を込めた。 「うおおおおおお!」 アルは心の準備ができていたので、その最初の一撃を耐え抜いた。これにはマゼルも周囲の人々も驚いた。このマゼルの最初の気合で倒せなかった者はほとんどいなかったからである。瞬時に片がつくものとばかり思い込んでいたマゼルは一瞬焦りを感じた。その焦りが腕の筋肉に微妙な変化をもたらした。その変化を感じ取ったアルはここぞとばかり全力を出した。するとマゼルの腕がわずかに... ...続きを見る |
2008/01/25 14:21 |
第26話 手と手-24
アルは父親のことを思い出していた。彼の父親は腕相撲にかけては誰にも引けを取らなかったのである。この地方にとっては新参者の一家であるにもかかわらず、父親が村人たちに一目置かれていたのは、豊かな教養と謙虚な姿勢からだけではなかった。彼は決して暴力を振るおうとはしなかったが、それは腕力に自信がないためではないことを村人たちはいち早く認識した。彼はそれまでこの地域一の力自慢を誇っていた鍛冶屋のジェデオン・ラポルトを腕相撲で負かしたのである。 感嘆の声を上げた人々に向かって、『なあに、コツがあるのさ... ...続きを見る |
2008/01/24 14:19 |
第26話 手と手-23
マゼルはアルを睨みながら立ち上がった。その巨体はアルよりも頭半分大きかったが、アルはマゼルを睨み返した。 「おれはくだらん喧嘩はしたくない。」 「おれは何も喧嘩をしようなんて言ってねえぜ。そんなにおれが乱暴者に見えるのか。」 マゼルは腕まくりをして、その太い腕をこれ見よがしに見せ付けながら言った。すると周囲の人々がいそいそと椅子を二つと小ぶりの卓を持ち出してきて、アルの目の前に置いた。 「腕相撲で勝負といこうじゃねえか。」 マゼルは自信ありげな口調で言った。アルは匹夫の勇でしかな... ...続きを見る |
2008/01/23 09:51 |
第26話 手と手-22
「わかりました。」 「わかってくれたか。おまえは物分りのいいやつだからな。仕事を覚えるのも早いし、実のところわしはおまえに眼をかけて…。」 アルはラコンブの言葉を途中でさえぎって言った。 「つまり、ジャンが仕事に慣れたら会いに行ってもいいということですね。」 アルは譲歩を強いられはしたが、この件について完全に屈服したわけではないということを示しておこうと考えた。 「まあ…、そういうことだな。」 ラコンブの返事は気のないものであった。 ジャンがラコンブの農場からいなくな... ...続きを見る |
2008/01/22 09:19 |
第26話 手と手-21
「あいつはとうてい畑仕事には向かない。あんなにひ弱で泣き虫じゃあどうしようもない。おまえも知ってのとおり、子豚にすらびくびくするやつだからな。それであいつの親とも相談して、パン屋の小僧ならなんとか勤まるんじゃないかっていうことになったのさ。ちょうど知り合いのパン屋がひとり小僧を探しているっていう話があってな。善は急げってわけで、さっそく話をまとめたところだ。」 「そ、そんな…。ジャンはそれでいいと言ったんですか。」 「なんだ? わしとあいつの親が決めたことになんでおまえが口出しできるんだ。」... ...続きを見る |
2008/01/21 14:01 |
第26話 手と手-20
アルはそれからしばらく家の畑の雑草を抜いたり、堆肥をこしらえたり、水路の掃除をしたりしてガブリエルが一人でも仕事をしやすくしておいてから、またラコンブのところに出かけた。ジャンとの再会の約束を果たすことに加えて、やはり現金収入が魅力的だからでもあった。食べるだけならほぼ自給自足に近い生活をしているわけだが、本を購入するためには現金がなくてはならなかった。辞書の一件で書籍の高価さを思い知るや、ますますジュネーヴに甘えるわけにはいかないという気持ちがアルの心に強く湧いてきた。 それに加えて、ア... ...続きを見る |
2008/01/20 12:40 |
第26話 手と手-19
「さあ…? はつらつとした明るい人?」 「違う、違う。」 「料理や縫い物がうまい人?」 「全然違うね。」 「じゃあ、きれいで優しい人?」 「マテューが言ったのは、そんなありきたりなことじゃないんだよ。」 「わからないよ。じらさずに早く言ってくれよ。」 「マテューはね、天使のような女性が理想だって言ったんだよ。これには、さすがにあの連中も、マテューの結婚相手を世話するのを諦めるしかなかったのさ。」 「天使のような…?」 これにはアルも驚いた。そして自然と笑みがこぼれてきた。確か... ...続きを見る |
2008/01/19 09:24 |
第26話 手と手-18
次の朝、アルは寝坊してガブリエルの大声に起こされる羽目になった。アルは考え事をしながらいつの間にか寝てしまっていたのであった。どこまでが眠れずに考えていたことで、どこからが夢だったのか自分でも区別がつかなかったが、昨日よりもずっと心は晴れやかであった。しかし、ひとつだけ確かめておきたいことがあったのに、起きたばかりの時はそれが何なのかがどうしても思い出せなかった。しかし、朝食を済ませて片付ける時に、お菓子の小瓶が目に付き、アルはそれが何なのかを思い出すことができた。 「母ちゃん、マテューおじ... ...続きを見る |
2008/01/18 13:40 |
第26話 手と手-17
そう考えると、今まで暗い中を手探りで歩いているような心持でいたのが、何もかもがよく見渡せるような気分になった。すると天井から滴り落ちる気味の悪い水滴から身をそらすこともたやすくできるようになった。汚泥だらけの道のすぐ脇には乾いた歩きやすい道があった。 アルはそこを歩いていくと毛糸の玉を見つけた。その糸玉から出た糸が洞窟の道のずっと先まで続いていた。アルはその玉を手にとって糸をたぐりながら歩き出した。なぜかはわからないが、そうすると出口にたどりつけるにちがいないという確信があった。 この... ...続きを見る |
2008/01/17 13:09 |
第26話 手と手-16
『ごめん。ディマンシュ。ちゃんと話を聞くから。』 アルはディマンシュをもう一度呼び出そうと心で念じた。すると、たちまち念じたとおりに、ディマンシュはまたアルに手を差し伸べてきた。 『…いや、ぼくもあんな言い方をして悪かった。』 さっきのディマンシュには人をからかっているようなところがあったが、今度のディマンシュは優しく真摯であった。 『マテューさんはおばさんに気があるのかもしれないと、君は考えているんだね。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。ここで重要なのは彼の気持ちではなく... ...続きを見る |
2008/01/16 13:53 |
第26話 手と手-15
アルはどんなことでも動ぜずに冷静で的確な判断を下す人物の姿を思い浮かべた。 『まず、ジャンについてだ…。アル、君に親密な弟分ができたのは喜ばしいことだ。…うんうん、きっとこう言うんだろうな。それから? …でも、親密な関係であることと始終べったりいることとは違う。幼い者には配慮が必要だが、その一方で、互いに異なった人格を持った人間であることを知らしめなければならない。親密な関係はともすれば依存関係に陥りやすい。年上の者や経験豊富な者、そういった指導的な立場にある者は特にそのことに気をつけなけれ... ...続きを見る |
2008/01/15 11:59 |
第26話 手と手-14
アルは早く眠りにつこうと毛布を頭からかぶった。しかし、ますます目が冴えてくるばかりであった。今度はシャルロットの姿が浮かんできた。シャルロットは婉然として微笑んでいた。手を出そうとするとその姿はふっとかき消えてしまった。アルは切ない気持ちになってきた。 『シャルロット…、おれのこと、本当にいつまでも待っていてくれてるんだろうか。小さなくだらないことが気になって眠れないような情けない男を…。それに、辞書一つ手に入れるだけで一ヶ月も時間を無駄にしてしまった。ラテン語の勉強をするために辞書を買った... ...続きを見る |
2008/01/14 09:29 |
第26話 手と手-13
ガブリエルは息子の態度の中に何か率直さを欠いたものがあるのに気がついた。 「変な子だね。…あ、そうか。わかったよ。マテューが催促めいたことを言ったりしなかったか気になってたんだね。大丈夫だよ。マテューはそんなことおくびにも出しやしなかったさ。」 アルは自分の気持ちに引っかかっていることが何なのか自分でもよくわからなかったが、母親が言ったようなことでないことだけはわかった。その言葉で胸がすっきりすることがなかったからである。 |