テーマ:旅行記

すずなとほうしの取材旅行(31)

 いよいよフランスともお別れである。旅行中ずっと晴天が続いていたが、シャルル・ドゴール空港に着いた時に初めて雨が降ってきた。天候にも恵まれ、また人の親切にも恵まれた旅であった。  8月18日に大阪到着。8月10日に出発して合計9日間の旅であったが、フランス滞在は実質7日間であった。この7日間の間に、本当にさまざまな体験をしてきた。30…
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すずなとほうしの取材旅行(30)

 パリでもまたまた通りや駅などでガンベッタの名前に出会う。レオン・ガンベッタは普仏戦争の時、プロイセン軍に包囲され絶体絶命のパリから気球に乗って脱出し、ロワール地方で軍を組織し、プロイセンに対する戦闘を続けたという人物である。  ペール・ラシェーズ墓地のすぐそばにあるガンベッタ駅から地下鉄に乗り、空港行きのバスが出ているオペラ座駅まで…
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すずなとほうしの取材旅行(29)

 さて、夜になって「ダルタニャン」に戻った二人を待っていたのは、フロントの「もう部屋はありません」という対応であった。パリにおける最後のトラブルである。どうやら鍵をフロントに預けたのがチェックアウトしたことにされてしまったらしい。すずなはもう必死であった。へたくそなフランス語で「荷物がその部屋にまだある!」「朝、散歩に出ると言っただけだ…
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すずなとほうしの取材旅行(28)

 昼からは、現在は軍事博物館となっている「アンヴァリド(廃兵院)」を訪れた。ここは元々ルイ14世が戦争で障害を負った元兵士のために建てた救護院であった。これはもちろんルイ14世が慈悲深かったからではなく、長期にわたる4度もの戦争のために、無視できない人数の傷痍軍人が生じたからであった。彼らはアンヴァリドの中でのんびりと治療に専念できたわ…
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すずなとほうしの取材旅行(27)

 パレ・ロワイヤルのそばには今は美術館となったルーヴル宮殿があったが、そこは横目で通り過ぎる。革命前とだいぶ様相が変わっているし、あまりにも有名な建物だから日本でいくらでも資料があるとのほうしの意見である。ちなみにヴェルサイユも、ほうしのそういった意見に従って行かずじまいであった。    あまりにも有名であるとはいえノートルダム寺院…
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すずなとほうしの取材旅行(26)

 8月16日月曜日、パリの朝を迎える。「ダルタニャン」は、看板にダルタニャンが付いているだけで、三銃士関連のグッズは何も売っていなかった。(商売が下手なのか?) 規模としてはニームのユースよりも大きかったが、2台あるエレベーターのうち1台はなんだか故障気味で、人が出入りしている最中なのにすぐにドアが閉まるので、手で押さえていなければな…
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すずなとほうしの取材旅行(25) 

 パリではどこに泊まるのかとパリ娘に尋ねられて「オーベルジュ・ド・ジュネス・ダルタニャン」と答えた。これもまた「ダルタニャン」の名前の付いたユースホステルであるというだけで選んだのであった。すずなが「パリからタクシーで行こうと思っている」と言うと、彼女は「タクシーはもったいない。地下鉄に乗って駅から歩いた方がいい。駅から近くてすぐわかる…
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すずなとほうしの取材旅行(24)

 プラットホームでフランス風の別れの挨拶をしてもらってから、すずなとほうしは電車に乗り込んだ。  電車の中は寝台列車のようにコンパートメントに別れていた。そのひとつひとつはだいたい10人ぐらいが座れるようになっている。その同じ部屋には、彼女ら以外に3人の若者がいた。黒人女性、白人男性、そして褐色の男性であった。見知らぬ者同士、最初…
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すずなとほうしの取材旅行(23)

 ピエールとコレットによるセヴェンヌの案内の旅も終わりに近づいてきた。  最後にアレスの収容所を見学に行った。中にはいることはできず、外観を見ただけであったが、何の飾り気もない建物であった。  アレスを後にしてパリに向かう。ピエールとコレットとは駅のホームでお別れである。  アレスからパリに行くには、リヨンの方に出てTGV(超…
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すずなとほうしの取材旅行(22)

 8月15日。この日は日曜日なので、改革派の教会の礼拝に参列したいというほうしのたっての願いに答えてもらい、アレスの近くの教会に連れて行ってもらった。  ピエールとコレットは中に入らず、外で待っていた。中にはほうしとすずなだけが入った。ほうしはクリスチャンなので祈るために、すずなはクリスチャンではないが、ほうしの通訳と取材のために参列…
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すずなとほうしの取材旅行(21)

 この日はもう一つの博物館、セヴェノール博物館を訪れた。「荒野の博物館」は、カミザールに関する展示だけであったが、こちらは、この地方の古代から現代に至る全体像が紹介されており、展示品も数多くあった。  この博物館もインターネットで見ることができる。しかも、かなり多くの展示品を画像で紹介してくれているのでありがたい。  籠を抱えた労働…
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すずなとほうしの取材旅行(20)

 ロランの家の次はマゼルの家である。自動車で行くと案外近い。当時の人なら歩いてでもいける距離である。ここはマゼルとは関係ない人の私有物で、勝手に中に入ることはできない。しかも今は不在だという。その代わりになぜか猫がいて、一行を出迎えてくれた。屋根のところにはブドウ棚があって、ブドウの実がたわわになっていた。   マゼルには妻がいたのか…
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すずなとほうしの取材旅行(19)

 8月14日土曜日は、まずは「荒野の博物館」である。これはカミザールのロランことピエール・ラ・ポルトの生家を彼の弟の子孫が博物館として提供したものである。彼につながる人々は現在もヨーロッパの各地に存命である。  ロランが読んだ聖書や日用品、当時の服を着た人形などが飾られており、食器棚の下には隠れ部屋に通じる穴があった。ごく小さな聖…
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すずなとほうしの取材旅行(18)

 さて、はじめてのフランス人の私宅に入る時、ほうしとすずなは日本から持参してきたスリッパに履き替えようとしたら、そんなことはしなくていいと言われた。たしかに、ピエールもコレットも土足でどんどんキッチンにもダイニングにも入っていく。  コレットに「プールは好きか?」と聞かれ、すずなが「プール…なんだったっけな」と考えていると、コレットは…
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すずなとほうしの取材旅行(17)

 次に向かったのは、すずなとほうしがかねてから望んでいたカステルノー・ヴァランス城であった。ここでカミザール300年を記念するフィールドワークが行われており、他にも大勢の人が集まっていた。30~40人ぐらいであっただろうか。解説者はピエールではなく、カミザールの展示の会場を提供した教会の牧師が務めていた。しかし、普通のフランス人に対して…
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すずなとほうしの取材旅行(16)

 ピエールが次に向かったところは教会であった。なぜ彼が二人をここに連れてきたのかはすぐにわかった。そこはプロテスタントの教会で、礼拝室の中ではカミザール300年を記念する展示がおこなわれていた。  壁には大きく「神は愛なり」と聖書の言葉の引用が書いてあり、説教台のところには大きな聖書が置いてあった。ナントの勅令が廃止されてからの凄…
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すずなとほうしの取材旅行(15)

 ナージュの丘からは平原に点在する他の集落がいくつも見えた。丘から降りた後、そのうちの一つに車で向かう。  そこには「ジャン・カヴァリエ通り」と名付けられた通りがあり、そのプレートがつけられた家は、ジャンとおじのラコンブが住んでいたという説明の板が貼られていた。  この集落のそばに小さな市場のようなものがあって果物を売っていた。…
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すずなとほうしの取材旅行(14)

 ナージュの丘の上には小さな石を積んで作った不思議な小屋のようなものがあった。ピエールの説明によれば、これは羊飼いが自宅から遠くに羊を移動させる場合に野宿せずとも済むための仮小屋なのだそうだ。 原形を留めているもの 崩壊してしまったもの  この他にも石を積んで作られた壁や家の土台のようなものがたくさんあった。  …
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すずなとほうしの取材旅行(13)

 8月13日金曜日、この日からようやく案内が付く。カミザールの研究家ピエール・ロラン氏とユースホステルの前で待ち合わせることになっているのだ。  その前に腹ごしらえ。  ユースホステルの庭にはなぜか鶏が放し飼いにされていた。朝食はどこでもバイキングである。ここのパンは普通の味だった。やはりホテル仕様のクロワッサンは特別だったようだ。…
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すずなとほうしの取材旅行(12)

 絶望の淵に立てばなんとかしなければという知恵と勇気がわいてくるものである。あるいはただ単にわらをもつかむ思いであったのかもしれない。駅前で唯一灯りのついていた居酒屋に二人は行ってみた。すると、フランスで三度目の「ありがとう」が聞こえてきた。カフェテラス方式のその店で、通りに面したテーブル客の一人が二人に声をかけてきたのである。愛想のよ…
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すずなとほうしの取材旅行(11)

 やっとバスが来た。16時35分にニームを出て17時20分にエーグモルトに到着する。わずか1時間後に出発する次のバスでニームに帰らなければ、ニーム駅からユースホステルへ行く最終バスに間に合わない。  二人は大急ぎでエーグモルトのコンスタンスの塔を見学した。ここも小説の舞台として絶対にはずせない超重要ポイントである。閉館時間ぎりぎりに飛…
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すずなとほうしの取材旅行(10)

 マルセイユでの見所はまだまだあった。『モンテクリスト伯爵』の舞台にもなった有名な牢獄シャトーディフもこのマルセイユの沖合にある。しかし、電車の時刻が近づいてきたので二人は急いで駅に向かった。前日に時刻表を確認して11時53分の電車に乗ろうと考えていたのだが、ここで思いがけない事態に直面してしまった。切符売り場が長蛇の列で、発車時刻まで…
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すずなとほうしの取材旅行(9)

 二人がマルセイユで泊まったホテルの名前は「New Select」であった。わざわざフランスに行くのに英語の名前のホテルに泊まるというのはどうかとも思ったが、安くて駅に近いところだったので、そこに決めたのであった。そこではボルドーのホテルの時のようなトラブルもなく、すんなりとチェックインができた。感じのいいホテルであった。  夕食はど…
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すずなとほうしの取材旅行(8)

 二人はボルドーでは最後にミュゼ・ダキテーヌという歴史博物館のような所を訪れた。有名なラスコーの壁画やモンテーニュの紹介があった。  あわただしく15時に空港行きのバスに乗り、17時20分にはボルドー空港を出発し、マルセイユへと向かう。この時の飛行機が、最初から数えて三番目になるのだが、だんだん小さな飛行機になっていく。最初の飛行…
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すずなとほうしの取材旅行(7)

 フランスといえば美食。すずなもほうしもフランスに行って本場のフランス料理を食べるのだと意気込んでいた。それで、ボルドーのレストランで昼食を食べるのにここが奮発すべき時だと思って、一人前が12ユーロ(当時は1ユーロ=142円)のセットを注文した。サラダとメイン料理(肉と魚)、そしてケーキが選べて、それにパンが付いている。しかし、出てきた…
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すずなとほうしの取材旅行(6)

 川のほとりから立ち上がってもう一度町の方に戻ろうとすると、そこに「税関博物館」という看板がかかった建物が見えた。こういうマイナーな博物館に掘り出し物があるものである。  二人が早速行ってみたら、入場料を支払う時、ここでも学生かと思われてしまった。ちゃんと大人料金を支払って中に入ると割に閑散としていて、展示品や絵画をゆっくり見ることが…
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すずなとほうしの取材旅行(5)

 すずなとほうしはあちこち歩き回って少し疲れたので、ボルドーを流れるガロンヌ川のほとりでのんびりと座り込む。むかしはこのあたりが港になっており、そこから大西洋を行く船が出航したということだ。(それは、あとで「税関博物館」を見てわかった。)  川沿いの道はきれいに舗装されているが、どうやらサイクリングコースらしい。車はほとんど通らず、時…
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すずなとほうしの取材旅行(4)

 市役所前の広場の向かいには巨大な教会があった。聖アンドレ教会という。日本の寺院の場合、建築物の周囲には塀や柵があるのが普通である。しかし、教会の場合は、町中で他の建物と隣接している場合も多い。他の建物と同じぐらいの大きさの場合はさほど違和感もないのだが、この聖アンドレ教会は、ノートルダム寺院級の大きさにもかかわらず、何の前ぶれもなく、…
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すずなとほうしの取材旅行(3)

 もう一度日本に電話をしてみたが、やはり昨日と同様機械的な女性の声が聞こえるだけであった。このままではらちがあかないと見たすずなは公衆電話をかけてみることにした。しかし、公衆電話のかけ方がわからない。携帯電話を用意したからと、公衆電話については必要ないと考えていたからであった。  説明を読むとどうやらカードが必要らしい。バス停前の雑貨…
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すずなとほうしの取材旅行(2)

 ボルドー空港に降りた時、すずなは日本から準備してきた国際携帯電話を取り出し、日本の家族に無事を知らせる電話をかけようとした。ところが、説明書通りにかけているはずなのに、なぜかわけのわからない早口の女性の声が延々と聞こえるだけであった。電波状況が悪いのかもしれないと思って、とりあえず後でかけ直すことにしたのだが、これが思ったより深刻な状…
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