地動説列伝(4)コペルニクス的転換(上)

 これまで不動のものとして信じられてきた価値観などが根底から覆されることを「コペルニクス的転換」と言います。
 これは、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクス(1473-1543)がこれまで揺るぎないものと信じられてきた天動説に取って代わって、地動説を唱えたことによるものです。

 しかし、実は天動説に対する疑念は古代ギリシャだけでなく、中世ヨーロッパでもしばしば発せられてきました。
 それは学問の分野というよりも、実際の活動からの要請でした。

 ひとつは大航海時代の始まりです。15世紀半ばに方位磁石と正確な星図があれば、自分の位置がどこにあるかがわかり、遠洋航海が可能になりました。しかし、当時の星図にはかなり問題があり、特に惑星の位置は常にずれ続けていました。

 もうひとつは暦です。
 ユリウス・カエサルの時代にローマで暦が作られました。これをユリウス暦と呼び、長い間ヨーロッパで使われていました。しかし、このユリウス暦は、実際の太陽の運行との間に微妙なずれがあり、1280年で春分の日が10日もずれてしまいました。キリスト教では春分の日は復活祭の日を決める重要な日なので、こんなことでは困ります。それで、これまでの暦を変える必要が生じてきました。この問題はイギリスの哲学者ロジャー・ベーコン(1214-1294)によってすでに提起されていました。

 しかし、天体の動きをすべて正しく計算して暦を作るというのは、天文学者たちにとって非常な難問でした。天動説の立場で行く限り、「周転円」をさらに複雑に組み合わせたものを想定する他ありませんでした。
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 ポーランドのクラクフ大学で教鞭を執るアルベルト・ブルゼフスキ(1445–1497)は、講義では天動説を教えつつも、天動説には懐疑的でした。彼は講義で最新の情報を学生たちに伝えていました。今では当たり前のことかもしれませんが、その当時としては画期的なやり方でした。彼は月が楕円軌道を描いていることを初めて突き止めました。彼は、天文学や数学だけでなく文学や哲学の講義もおこなっていました。
 若きコペルニクスはクラクフ大学に通い、このアルベルトの講義を受けたのでした。

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