宗教改革500周年によせて(上)

 明日は宗教改革500周年の記念日です。

 今から500年前、1517年10月31日、ヴィッテンベルク大学の教授であったマルティン・ルターが『95箇条の論題』を大学構内の聖堂の扉に張り出しました。
 当時のカトリック教会は、「贖宥状(しょくゆうじょう)」を購入すれば「煉獄の霊魂の罪の償いが行える」と大々的に宣伝しました。
 「贖宥状」というより「免罪符」という名の方がよく知られていますが、罪そのものを免れるわけではなく、あくまでも罪の赦しが得られやすくなるだけだということで、現在はこの用語が使用されています。しかし、当時の人々にとっては、そうした神学上の細かな違いはどうでもよかったのではないかと思われます。

 とにかく「贖宥状」はよく売れました。しかし、ルターはこのような行いはキリスト教の教義に反しているのではないかと公開討論会を呼びかけました。それが『95箇条の論題』でした。これはラテン語で書かれており、ルターの主観では、あくまで教会内部で腐敗を正すための行いでした。

 ところが、これを誰かがドイツ語に翻訳しました。そして当時の最新技術である活版印刷で印刷され、またたくうちにドイツ中に広がりました。
 これを問題視したのが当時のローマ教皇でした。カトリック教会とルターとの討論が何度か行われましたが、ルターは自説を曲げず、ついに教皇はルターを破門しました。

 この当時まで、教皇による「破門」は、絶大な力を持っていました。
 ルター以前にも、14世紀イングランドのウィクリフや15世紀チェコのフスなど、カトリック教会の腐敗を指摘し、宗教改革の先駆者といわれる人々は存在しましたが、力で押さえ込まれてしまいました。

 しかし、ルターの時代には、ルターの主張に共感を抱く人々が広範に存在していました。まさに時代の要請とローマ教皇の弾圧とがルターを「宗教改革者」としたのでした。

 こうして、10月31日は、プロテスタントの間では「宗教改革記念日」として記念される日となりました。

 宗教改革といっても、キリスト教徒以外の人には無縁の話ではないかと考える人もいるかと思いますが、ここで始まったことがその後の歴史の中で体現されていきます。
 たとえば、日本国憲法でも、個人の尊重、思想・良心の自由、信教の自由といったことが掲げられていますが、これらはみな宗教改革運動の産物なのです。
 だから、当時の著作を今あらためて読むと、現在は当然の権利とされていることが、当時は様々な理屈をつけなければ、正しいと認められなかったのだということがわかります。

 そんな重要な意義のある宗教改革運動ですが、これを現代の人々がゲームを通じて親しめるようにしようという試みをキリスト新聞社が企画しました。

(つづく) 

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