イギリス革命(27) オリヴァー・クロムウェルの死と護国卿体制の崩壊

 1653年にオリヴァー・クロムウェルは護国卿となり、この地位は世襲制と定められました。こんなところも、共和制というよりむしろ王政に近いものでした。一院制の議会は存在していましたが、事実上権力を一手に握るものでした。
 1658年9月3日、59歳でオリヴァー・クロムウェルは死亡しました。死因はインフルエンザだということです。数々の暗殺の試みは成功しませんでしたが、病魔が彼を死に追いやりました。

画像 彼の死後、息子のリチャード・クロムウェルが32歳で護国卿に就任しました。彼はその4年前から議員となっていましたが、政治的経験の不足は否めません。なによりも父オリヴァーが有していた軍事的な実績は何もありませんでした。
 案の定、このリチャードは軍の支持を得られず、翌年の1659年5月、就任後8ヶ月で護国卿を投げ出してしまいます。父親の腹心であったジョン・サーローが彼を補佐していましたが駄目でした。

画像 リチャードの辞任により護国卿の地位が空っぽになってからは、軍の有力者たちが覇権を争うことになりました。クロムウェル政権のナンバー2でありながら1657年に追放されたランバートが復帰し、1659年10月に議会を解散して軍事政権を樹立しました。
画像
 そこへ、スコットランド総督であったジョージ・モンクがロンドンにやってきて、議会の招集を要求し、12月に復活させました。モンクは1660年1月に軍を率いてランバートを打ち破り、彼を捕らえました。人々はもはや権力抗争にうんざりし、安定した政権を望んでいました。こういう機運を見て取ったモンクはチャールズ2世と連絡を取り、王政復古を準備しました。

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