悪魔の読書案内 ミルトン『失楽園』

 ミルトンの『失楽園』といえば、西洋史や文学史には必ずといっていいほど、“17世紀イギリス文学を代表する大長編叙事詩”などと紹介される有名な作品なのですが、実際、これを読んだ人はそんなにいないのではないでしょうか。私も入手しただけで長らく本棚に置きっぱなしにしていたのですが、ふと手に取ってぱらぱらと読み始めると、これが実に面白く、引き込まれるものだったのです。
 話の大筋は、旧約聖書の創世記に登場するアダムとイブが、ヘビに化身した悪魔の誘惑により、神から食べることを禁じられていた「知恵の実」を食べてしまい、そのために楽園(エデンの園)を追われることになった過程を描いたものです。
 作者のミルトンは熱心なピューリタンであり、作者の立ち位置としては、悪魔を批判し神を賛美するというものです。しかし、この作品で描かれている悪魔たちは首領のサタンをはじめとして、その配下の者たちに至るまで、なぜか非常に魅力的なのです。

 かつて天使であったサタンは、神に反逆した堕天使として、神との壮大な戦闘の末、敗北して、配下の者たち(これもみんな元天使)と共に地獄――ミルトンは地の底ではなく宇宙の果てのようなところにあるものとして描いています――に追いやられます。しかし、そこで彼は、こう言って仲間たちに再度の奮起を促すのです。

 一敗地に塗れたからといって、それがどうだというのだ?
 すべてが失われたわけではない――まだ不撓不屈の意志、
 復讐への飽くなき心、永久に癒やすべからざる憎悪の念、
 降伏も帰順も知らぬ勇気があるのだ! 敗北を喫しないために、
 これ以外何が必要だというのか?


 そして、天国を取り戻すために何が最善の方策かを討論する会議を開くのです。
 悪魔となった堕天使たちが次々と登場して自分の意見を主張する場面はなかなかの見所です。 
「天において戦った天使のうち最も獰猛な者であったが、今では絶望の余りさらに獰猛になっていた」モーロックが公然たる戦いを主張すると、「優雅で洗練された振る舞いの持ち主」で、「天から失われた者で、彼以上に端麗な天使は他にいなかった」といわれるベリアルが、神の機嫌を損ねないようにすれば怒りもおさまると非戦論を展開し、さらに、富の化身マンモンが、神の恩赦を得られたとしても天国で奴隷のように暮らすよりも地獄での生活の方がいいと言い出します。

 
絢爛たる奴隷生活の平穏無事な軛よりも、苦難にみちた自由をこそ選ぼうではないか!


 地獄で新たな王国を築こうというマンモンの主張に衆議が一致する雰囲気になりました。しかし、ここで、サタンの右腕のベルゼバブが登場し、非戦論に対する反論を加えます。このベルゼバブの描写もなかなかのものです。

 彼は「ひどく荘重な面持ちで立ち上がった。その立ち上がる様子は、いかにも一国を背負って立つ柱石の趣があった」。「たとえ身は破滅という悲境に陥ったとはいえ、威厳に満ちたその顔には、まさに王者にふさわしい英知の輝きが鮮やかに残っていた」。

 そして、ベルゼバブは、神が天使以上に寵愛する対象として創造した「人間」と呼ばれる新しい種族を誘惑することを主張します。一同はこの案に賛成しますが、それを実行するためにその新しい世界を調査する役割の者を募ろうとすると、皆怖じ気づいて黙り込んでしまいます。――そこでサタンが自らこの役割を背負って立つことを引き受ける大演説をおこないます。

 わが戦友諸君
 全体にかかわる一大事として提案され、決定されたことを、それが
 単に困難であるという理由だけで、もしわたしが敢えて
 自ら引き受けないとすれば、わたしは栄光に包まれ
 武威に輝くこの王座を、そしてこの帝王としての権威を、
 まったくむなしくするものといわなければならぬ! もしわたしが、
 今受けているこの大いなる名誉に適う大いなる危険を
 背負うことを辞退するとすれば、わたしは当然王者の権威を
 僭することをやめ、支配権を辞退すべきだと考える。支配者には、
 名誉と危険は同じくらいつきまとうものであり、他人以上に
 名誉ある地位につけば、それだけいっそう危険に身をさらす
 責任もあるはずだ。


 このように述べて、サタンは単身地獄から脱出し、暗い混沌の中を天国への道を見つけようと飛んでいきます。そこで太陽を守っていたウリエルに出会うと「若々しい智天使」に変身し、神を賛美する言葉を述べてウリエルを信用させ、まんまとアダムとイブの居場所をつきとめてしまうのです。

 ここだけ読めば、どうしても悪魔の側に肩入れしたくなってきますが、一方、神の方は、サタンのこうした策略はすべて見通した上で、人間が悪魔に堕落させられることを予言し、人間を救うためには、自分の命を投げ出して償いをする者が必要だと言います。神の周囲にいる天使たちの誰もが沈黙する最中、神の一人息子が、人間を救うために自分自身を捧げると言い出します。この息子が後にイエスとして生まれ人類の罪を背負って十字架にかかるということになるのです。

 ミルトンはピューリタンの詩人として、聖書とギリシャ神話や様々の伝説に基づいてこの一大叙事詩を描きましたが、彼はまた共和主義者として清教徒革命を支持しました。しかし、クロムウェルの死後、共和国は崩壊に向かい、1661年には処刑した国王の息子が復帰してイギリスは王政復古の時代を迎えました。『失楽園』が書かれたのは、共和政体の末期1658年から王政復古後の1664年のことでした。
 こうした政治の激変が、この作品の中に反映していないはずがありません。「悪魔」として描かれる者たちは、おそらく清教徒革命の指導者たちであろうと思われます。その渦中にいたミルトンとしては、敗北した革命家たちの偉大さと誤りの両方を描くのに、悪魔に仮託して、彼らの言葉を語らせたのではないでしょうか。

 17世紀イギリスの名作。読んで損はない作品です。

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いよいよ明日から、漫画『アドルフの告白』を再開します。お楽しみに!

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この記事へのコメント

2012年08月21日 01:39
面白そうな作品ですね。
神と悪魔では、私も悪魔の方を応援したくなりますねぇ。
多くの作品で天国より地獄の方が面白いのは、苦難に満ちた自由だからなのかもしれません。
それにしても、このサタンの思考や感覚、どうしても佐久間闇子を想起させます。

佐久間「敗北とは死ぬことだ。死なない限り真に敗北は訪れない。生き延びた者が勝利者よ。負けない限り勝つ。死なない限り勝つ。生きている者のみが、勝利を得ることが出来るのだ!」
山田「俺が敬意を表したいのは、もう一方のセリフだな。支配者たるもの、他者より危険に身を晒して当然。なぁ佐久間。」
佐久間「その通り。100人を支配する者は、常人の100倍は修羅場を潜る必要がある。それ未満なら腰抜けに等しい。100倍の収入がある者は、100倍の努力をしなければ怠け者だ。100倍恵まれた者は、自らに100倍のハードルを課さなければブタも同然。弱き支配者などに微塵も価値など無い。単独で死地に赴くことが出来ない奴に、支配者の資格など無い・・・。」
山田「そういうところはお前の、数少ない尊敬できる点だ。」
佐久間「数少ないィ?」
山田「いや、尊敬できるって誉めたんだよ。」
佐久間「お前も誉めるのが下手だな。」
2012年08月21日 15:19
アッキーさん、たとえば次のような作者自身の呼びかけを聞くと、作者自身の悪魔への思い入れがにじみ出ている気がします。

人間よ、恥を知れ、と私は言いたいのだ! 呪われた悪魔でさえも、
悪魔同士で堅い一致団結を守っているのだ、それなのに、
生ける者の中で唯一理性的な人間だけが、神の恩寵を受ける
希望が与えられているにもかかわらず、互いに反正し合っている。

ところで、佐久間さんのセリフ、本当に不思議なくらいこの作品のサタンに似ていますね。もしかしてサタンの化身なのでは…?
2012年08月21日 19:50
人の上に立つ者は権限を手に入れる代わりに、当然責任の重さや危険をも背負うのは当たり前ですね。
しかし権限、権力だけあって、失敗したら笑って誤魔化すようでは、到底「長」の器ではないということです。
天使と悪魔。善と悪の戦いは地球が誕生するずっと前。すなわち宇宙誕生の時から現在にいたるまで、そして未来永劫、永遠に続くのでしょう。
人間は天使にも悪魔にも成り得る素質を持っている。
もっと深くいえば、悪魔という強敵が人間を強くするという劇もあります。
善良過ぎて社会悪にも怒らないのは、結局は悪に通じるという厳しい見方もあります。
善と悪の話は深い。ババさまが「深いに手を出してはならん」と言うのも頷けます。
・・・・・・言ってないか。
ルビデ
2012年08月21日 21:03
悪魔の話だと聞いたから悪魔の俺が来たぜ。

かつては「人間」という種を誘惑することに対して、サタン様自らが熱弁を振るい出陣した経緯があったとは…。人間というものがいかに恐ろしいものであるかが伺えるな。
人間は非力で、ことによると虫けらよりも下らない、取るに足らない者がいる一方で悪魔をも騙し、出し抜き、恐怖させる者もいる。人間の最も恐ろしい部分は「可能性」だと俺は思う。人間は天使のようにも悪魔のようにもなれる。俺の予想を遥かに超越した何かになる可能性を持っている。人間という種が自分達の可能性をどれだけ理解しているのかは定かではないが、全くどんな人間であってもそのような可能性を持っているのだから、恐ろしいものだ。
2012年08月22日 22:22
ブラックホークさん、このサタンのせりふ、他人に厳しく自分に甘い今の権力者たちに聞かせてやりたいくらいです。
天使と悪魔の戦い――その悪魔が元は天使だったというところも意味深ですね。サタンが天使だったときの名前はルシファー、「明けの明星」という意味です。その顔立ちも明けの明星のように美しく威風堂々としているというような描写もあります。元は「明けの明星」という意味を持つルシファーという名を持っていたサタンは美しく、また賢く、威風堂々としています。彼は神への復讐心から人間を破滅に追いやろうとするのですが、人間に対しては恨みはなく、むしろ彼なりの愛が感じられるのです。天使と悪魔、この両方が居てこそ、人間が打ち鍛えられるというのはその通りかも知れません。
2012年08月22日 22:32
ルビデさん、ようこそ。人間の最も恐ろしい部分は「可能性」…。悪魔のルビデさんがいうのですからそうかもしれません。
エデンの園にいたアダムとイブはたしかに幸福な生活を送っていましたが、「知識の樹」の果実を食べてはならないと言い渡されていました。そして、サタンの巧みな話術によってその実を食べることになり、楽園から追放されてしまうのですが、そこには新たな可能性も生まれたということになります。
ということは、悪魔が恐れる人間の「可能性」を作りだしたのは、悪魔自身…?
ジン
2013年12月08日 19:18
とても読みたくなるような本ですね
可能性か深いですね
2013年12月09日 16:12
ジンさん、ようこそ。ぜひご一読ください。叙事詩の形式なので、はじめは若干読みづらいかもしれませんが、慣れるとはまりますよ。

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