閑話休題の読書案内 大佛次郎『パリ燃ゆ』

 大佛次郎(おさらぎじろう)の『パリ燃ゆ』は、1871年にフランスで起こった史上初めての労働者政府パリ・コミューンの成立とヴェルサイユ軍による血の弾圧を描いたノン・フィクション文学です。作者自身の言葉で言えば「散文で書いた叙事詩」というようなものです。「歴史の専門家でない」と言いながらも、当時の人々の証言や逸話を丹念に拾い上げ、この時代のことをまったく知らない者にとっても、その場に居合わせたように活写しています。

 パリ・コミューンに至る過程として、まずは1851年12月2日のルイ・ボナパルト(ナポレオン三世)のクーデターから書き起こしています。著者はこのクーデターの目撃者の主要人物としてヴィクトル・ユゴーを選んでいます。
 ユゴーはルイ・ボナパルトのクーデターに反撃する勢力を組織しようとしましたが、パリの労働者は動こうとしませんでした。なぜなら、1848年の二月革命で成立した共和国政府は6月に労働者を裏切ったために、労働者の気持ちは議会を守ることから離れていってしまっていたのでした。しかし、クーデター部隊はモンマルトルで武器を持たない民衆に対して殺戮をおこない、それからようやくバリケードによる民衆の抵抗が組織されました。しかし、そうした抵抗は全て軍事的に蹴散らされました。王党派や財界がこのクーデターを支持し、数千名の共和主義者が逮捕・追放され、あるいは亡命していきました。ユゴーも労働者に変装してベルギーのブリュッセルに亡命しました。

 こうして、1848年の二月革命はルイ・ボナパルトのクーデターによって終わりを告げます。1852年にルイ・ボナパルトは国民投票によって皇帝に選ばれ、第二帝政が始まります。
 この第二帝政の終わりはあっけないものでした。1870年の普仏戦争で、ルイ・ボナパルトはプロイセン軍の捕虜となり、それで帝政が崩壊して臨時政府が成立しました。

 この臨時政府が労働者の武装解除をおこなおうとしてかえって反発を生んだことが労働者蜂起のきっかけとなりました。1871年3月18日、モンマルトルの丘の大砲を奪おうとした兵士を朝早くから起き出していたおかみさんたちが見つけて取り囲み、そこに労働者たちも加わり、さらには兵士の中から労働者の味方をする者たちが現れ、上官の発砲命令に逆らい、民衆に銃を向けることをやめたのでした。ティエールを首班とする臨時政府はこの状況にあわてふためき、皆パリを脱出しヴェルサイユへと逃げ出してしまいました。
 こうしてパリには、労働者の政府が成立し、第一インターナショナルの活動家や共和主義者などが委員に選出されました。
 しかし、ヴェルサイユに逃げた政府は、敵であったはずのプロイセンと手を組み、捕虜となっていたフランス軍を返してもらい、その巨大な軍勢を以てパリを包囲し、圧殺しました。パリ・コミューン成立から崩壊までわずか2ヶ月のことでした。

 著者は、太平洋の絶海の孤島ニューカレドニア島に流刑にされた人々のことまで描いています。モンマルトルの丘で大砲を奪還した者たちの一人ルイズ・ミッシェルは、そこで現地のカナカ人と交流します。彼女を極悪人と考えていたカナカ人たちにルイズがコミューンのことを語ると、カナカ人の酋長はこう言いました。「お前はおれたちのように戦士なのだな。お前は兄弟たちの為に闘ったが、敗れたのだ。不幸なカナカ人が白人に向かって闘って敗れたようにね。そうだよ。悪人はいつも善人よりも多いものだ。奴らは、いつも殺しながら、いつも正しいことになる」と。

 かなり長い書物ではありますが、こうした一つ一つの具体的な場面が目の前に浮かび上がり、興味は尽きません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、以上はこの著書の一般的な紹介でして、漫画の連載の途中でわざわざ「閑話休題」と読書案内を差し挟んだのは、次の挿話をお見せしたかったからなのです。この著書全体からすればまったく小さな挿話なのですが、まさに事実は小説より奇なりを地でいく話です。
 この著書では、ルイ・ナポレオンのクーデター成功の後、ユゴーをはじめ反対派の決死の逃避行がいくつも描かれていますが、その中の一つです。かいつまんで紹介しましょう。
 

 共和派の議員でテリエという人物がいた。彼も追放され、妻とともにベルギーに出発することになった。ところが、この時「テリエ夫人」として同行した人物は、テリエの義弟でプレヴロオという男であった。プレヴロオは、クーデターが起こった時に銃を持って抵抗したが、彼の仲間が三人も断頭台で処刑され、彼自身に対しても死刑判決が出された。

「プレヴロオを脱出させようと友人たちが企てた。小柄で痩せていたので女装させた。ヴェイルをかぶせるとけっこう美しく見えたのが災難のもとと成った。銃をつかんで闘った大きな手は婦人用の毛皮のマフに入れて隠して、テリエ夫人としてテリエが連れて出発したのである。」

 二人はパリ市内を無事に通過して、ブリュッセル行きの夜行の汽車に乗った。すると憲兵がやってきてプレヴロオの横に腰をおろし、旅券を見せろと要求してきた。旅券を確認すると憲兵は国境まで任務で行くからとそのまま座り込んだ。テリエはそれまでの心労から疲れて寝込んでしまった。

「プレヴロオが気が付いたのは自分の膝を隣の憲兵が膝で押して来たことであった。その次には、長靴を履いた足を、軽くプレヴロオの靴に重ねて来た。やがて手を膝においてすべらせて、いたずらを試みた。声を出すわけにはいかない。」

 汽車が国境を越え、ベルギーの最初の駅に着き、憲兵はようやく汽車を降りていった。その途端、「それまでしとやかな中に色っぽく見えた美しい婦人が、かぶったヴェイルの下から太い男の声を出して、わめいた。」

「野郎! さっさと消えちまえ。まごまごしていると、顎を叩き潰してくれるぞ。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 はい、もうおわかりですね。ディマンシュもきっとこれぐらいのことを言いたかったはずですが、何しろ、国境を越えて取りあえず安全な身になったプレヴロオ氏とは違って、まだまだ秘密を守り通す必要があったものですから…。
新装版 パリ燃ゆ I
朝日新聞社
大佛 次郎
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 新装版 パリ燃ゆ I の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



新装版 パリ燃ゆ II
朝日新聞社
大佛 次郎
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 新装版 パリ燃ゆ II の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



新装版 パリ燃ゆ III
朝日新聞社
大佛 次郎
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 新装版 パリ燃ゆ III の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント

2012年05月31日 17:38
逆もまたスリリングです。男に変装したヒロインが女とバレそうになる。ハラハラドキドキもんのシーン・・・ちょっと趣旨がズレましたか。失礼。
でも永久に知らないほうがいいこともあります。ずっと恋焦がれた人がディマンシュと知ったらショック死してしまうでしょう。
2012年06月01日 03:17
最後の怒号が一番の萌えどころですね。変身ヒーロー・ヒロインの正体が明かされる場面というのは、いつ見ても良いものです。ふふふ・・・。

佐久間「いや、声を出すわけにはいかないのが最高のシーン。燃える。」
山田「理解できない・・・。」
2012年06月01日 09:13
ブラックホークさん、全然趣旨はズレてないですよ。憲兵の方もびっくりでしたでしょうね。
それにしてもこの名著をこんな紹介の仕方をする私って…。
2012年06月01日 09:23
アッキーさん、一晩中のセクハラに耐えた思いをぶちまけるところ、いいですよね。
佐久間さんのリクエストにお応えして、上の本文では引用しなかった箇所をご紹介しましよう。

心の中では激怒しながらも「女らしく、出来るだけ優しく身を避けている。いじらしい抵抗である。」

この記事へのトラックバック