フィリップ・ドルレアン ~近世フランス人物伝 十七世紀編(19)~
Philippe d'Orléans生 1640年9月21日
没 1701年6月8日
ルイ十四世の弟で、女装が好きだったということ以外特筆すべきところのない人物ですが、二度の結婚で合計六人の子を残し、近代オルレアン家の祖となりました。パレ・ロワイヤルに住み、そこに彼の取り巻きが集まって一大サロンが形成されました。
兄のルイ十四世よりも早く、脳卒中で亡くなりました。
彼の息子オルレアン公フィリップ二世(Philippe II, 1674年8月2日 - 1723年12月23日)は幼いルイ十五世の摂政となりました。彼はジョン・ローを登用し、ミシシッピ開発のバブル経済とその破綻に翻弄されました。
アンドレ・モロワ『フランス史』によれば、彼は放蕩がたたって腹上死したそうです。
摂政のひ孫にあたるオルレアン公(Louis Philippe II Joseph, duc de Chartres, puis duc d'Orléans, 1747年4月13日 - 1793年11月6日)は、フランス革命時代の人物です。彼はアメリカ独立戦争を支持し、自由主義貴族の代表として王宮と対立していました。革命が勃発すると「フィリップ・エガリテ(平等のフィリップ」と名乗り、ルイ十六世の死刑にも賛成投票を入れました。しかし、自らも共和制の転覆を謀ったと告発されて処刑されました。
フィリップ・エガリテの息子のルイ・フィリップ(Louis-Philippe Ier、1773年10月6日 - 1850年8月26日)は1830年の七月革命が起こると、国王に担ぎ出されました。しかし、この「七月王政」は、共和制を望んでいた人々を失望させました。普通選挙を求める運動を弾圧し、
1848年に二月革命が勃発すると、イギリスに亡命し、そこで亡くなりました。
というわけで、その子孫たちの中には、その後のフランス史における有名人が何人かいるので、項目にあげておきました。
絵はルイ十四世の家族を示したもので、左の男性がこのフィリップ・ドルレアンで、右の男性がルイ十四世です。みなそれぞれにギリシャ(ローマ)神話の神々に扮した姿で描かれています。

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