第56話 虜囚-1

これまでのあらすじ
 1685年、フランスの絶対君主ルイ十四世は、信教の自由を定めたナントの勅令を廃止し、カトリック以外の宗教を禁じた。迫害に耐えかねたユグノーによって「カミザールの乱」が引き起こされ、南フランスのセヴェンヌは2年にわたり反乱軍の影響下にあった。
 ヴィラール元帥のカミザール鎮圧策は功を奏し、ジャン・カヴァリエは離反し、ロランは暗殺された。しかし、ヴィラール元帥のいない戦場ではフランスは大敗北を被った。


 熱い八月が過ぎた。この一ヶ月の間にフランスは四万人以上の将兵を失った。ある者は戦場で敵の弾に当たり、銃剣でとどめを刺され、またある者はドナウ川で溺死した。そしてタラール元帥のように捕虜となった者もいれば、敗戦行軍の途中で脱走した者もいた。一方、カミザールの側ではロランをはじめ六人の若者がこの世を去った。より多くを失ったのはどちらの側なのか。両者の分母を比較してみると、国王の軍隊は四十万を超え、一方カミザールの部隊は約二千であった。計算上は明白なように見える。六人と四万人。一〇〇〇分の三と、一〇分の一。しかし、人数でも割合でもない、第三の要素が大きく作用した。それはロランが仲間たちに愛されていたほどには、四万人の将兵はルイ十四世に愛されていなかったという事情である。したがって、まずもって打撃を受けたのはカミザールの側であった。

 マゼルはロランの死を知ってから間もなく聖霊が自分を捕らえるのを感じた。これまで聖霊はいつも彼に信仰の自由をフランスに取り戻すための行動を促してきた。あのメゾン・アンドレ襲撃に先だって、彼は何度もキャベツ畑を食い荒らす牛の幻影を見せつけられてきた。丹誠込めた作物を台無しにする牛を追い出すことが、すなわち囚われの者たちを救い出すために非道の司祭の館を襲撃することと重なった。リヴェール神父と出会ってからしばらく聖霊の訪れはなかったが、無抵抗な女たちを襲撃する兵士らを見た時に、彼には再び聖霊が力を与えたのであった。
 しかし、この時彼に聖霊が彼に見せた光景はこれまでとはまったく異なっていた。彼は仲間に会いに行こうと山に登る。しかし、そこには誰もいない。谷間に降りて洞窟を覗いてみる。しかしそこにも誰もいない。仲間を求めて昼も夜も歩き続ける。どこにも誰もいない。そして、どこからか「もうカミザールはおまえ一人しかいない」という声が聞こえてくる。その声は山々に反射して谺となって返ってくる。その声が止んだ後はただひたすら寂寥だけがあった。

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この記事へのコメント

2011年09月02日 02:42
フランス軍は旧日本軍と、カミザールはキューバ革命軍と重なるように感じました。
多くの兵士が死んでも、日本軍の上層の多くは自己保身しか考えず、戦後も独りよがりのセレモニーを繰り返している始末。
一方キューバ革命軍においてゲバラたちの死は、全体からすれば僅かな割合であったにも関わらず、多くの人々に打撃を与えました。
実際、人間的感性からすれば、1人でも死ぬのは辛いものです。

佐久間「試みに問う・・・“王は、何ゆえ王であるか?” それは優れているからだ。その権力において、その財力において、根本的には知能と暴力において。・・・然るに、戦場にも出ず、采配も拙いブタ野郎に、王者の資格など無ァい。王者とは、自ら王者たることを示し続けねばならないのだ。みんなも、そう思うだろう?」
山田「ようやく佐久間らしくなってきたな。」
佐久間「私はいつでも私だ。それよりも、残り1人というのは解せないな。戦死者や離脱者の数を考えても、他にゼロってことはないだろう。逆に言えば、1人になっても戦い続けられるかどうか・・・その意志を試されているのかもしれない。」
山田「なるほどな。かつての俺やお前みたいなものか。」
佐久間「加えてマゼルは少々腕力があっても普通の人間だ。厳しい戦いになるぞ。」
2011年09月02日 11:25
アッキーさん、確かにこの比較はなるほどと思いますね。
スペイン継承戦争はこの後も延々と続けられ、最後的に和平が結ばれたのが1714年、すなわちほぼ10年後のことになります。この間に数多くの将兵が命を落としました。太平洋戦争においても、緒戦の勝利から敗戦に転じた後も戦闘を続け、将兵ばかりか民間人にも多くの犠牲者が出ました。
一方、ゲバラが亡くなったのはボリビア革命の支援のためでした。当時のボリビアにあってはゲバラらの活動は日の目を見ることはありませんでしたが、現在のボリビアは先住民出身の大統領を選出し、ゲバラが目指したような貧困者のための社会を築こうとしている途上にあります。

ところで佐久間さんの言ってることは、聖霊の示す幻影の解釈として結構当たっているかも知れません。

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