春爛漫の読書案内その2 シラノ『月と太陽諸国の滑稽譚』太陽の巻


 前著、月世界編に引き続き、その続編として太陽編(『l'Histoire comique contenant les Etats et Empires de la soleille(太陽の諸国と帝国を語る滑稽な物語)』)が1662年に出版されます。

 続編では、友人に勧められて『月世界』を書き、それが出版されるや大評判になります。(もちろん生前には出版されなかったのですから、シラノの想像です。)しかし、この作品の意味がわからず賞賛していた人々は考えを変え、「今では馬鹿らしいだぼらのごった煮、支離滅裂もいいところの馬鹿話の寄せ集め、子供を眠らす為の愚にもつかぬ御伽草子の類」だと評価するようになってしまいました。それだけならまだしも、悪魔や魔女の仲間に違いないという嫌疑までかけられてしまいます。悪魔の力でも借りなければ月になど行けるはずがないというのです。
 そうした喧騒を逃れて、友人達のすすめで田舎へと旅行することになったシラノは、なんとその行き先で魔法使いだと思われ、捕らえられてしまいます。持っていた本に惑星の動きを書いた図があると、それは「悪魔中の悪魔ベルゼブートを呼び寄せるための魔法の輪に違いない」と思われてしまいました。
 牢屋に閉じこめられ、裁判を待つ身となったシラノは一計を案じ、太陽熱を利用した飛行装置を作って、牢屋から脱出しようとします。しかしながら、その装置の飛行能力が彼の予想以上のものだったので、地球の大気圏を抜けてしまいます。地球からだんだん遠ざかりながら地球の回転を観察する場面は、本当にロケットに乗って宇宙に飛び出したのではないかと思われるほどです。
 シラノを乗せた飛行装置は、月、金星、水星の横を通り抜け、やがて太陽にまで到達してしまいます。太陽の黒点を太陽の周囲を回っている小地球と見なして、シラノはそのひとつに降り立ち、太陽での冒険が始まります。
 最初は妖精の国で、その次に訪れたのは鳥の国でした。ところが、この鳥の国でシラノは捕らえられ、裁判にかけられてしまいます。というのは、人間という生き物は鳥たちにひどく嫌われており、人間とわかればそれだけで死に値すると見なされていたからなのです。
 人間と暮らしたことのある鵲(かささぎ)がシラノに同情してそのことを教えてくれたので、シラノは裁判の場では自分が猿だと主張することにしました。
 そして、シラノは鷲がやって来た時、この鷲を王だと思ってひざまずこうとしたところ、鵲はそれを押しとどめます。
「まあ、貴男ったら、この大鷲を王様だとでも思ったの。いかにも人間が考えそうなことね。自分達が仲間の内で、一番大きく、一番強くて、一番残忍な者に従っているものだから、なんでも自分流に解釈して、きっと鳥の王様は鷲だなんて馬鹿なことを考えたのね。」
 これが鳥の世界の中で人間に最も同情的な者の言葉なのです。そして鵲は鳥の国の政治システムについてシラノにこう語りました。
「私達は、一番弱い、一番優しい、一番平和的なものを王様にするんだから。しかも、それも六ヶ月交替なのよ。なぜ弱い者を選ぶかって言うと、一番小さな鳥でも、王様からひどい目にあったら、自分で仕返ししてやれるでしょう。それに心の優しいのを選んでおけば、誰も人を憎まないし、人からも憎まれないでしょう。又、平和主義者なら、戦争を避けようと思うでしょう。だって戦争になったら、あらゆるひどいことが起こってくるでしょう。」
「今の王様は鳩で、そりゃ平和的な人なの。だから先日、仲違いをしていた二羽の雀を和解させなくちゃならなかったんだけど、王様には幾らこちらが説明してあげても、なかなか仲違いと言うことの意味がわからなかったのだから。」
 しかし、シラノはとうとう裁判において人間であると判断されてしまいます。そして、人間であるというだけで死に値すると考える理由が鳥の検事によって列挙されていきます。
「共和国の維持のための第一番目の、かつ最も根源的なる法則は平等であります。しかし人間には、いつまでもそのような法則の支配に甘んじていることなど出来ないのであります。(…)彼らは勝手に、我々鳥などは自分たちに喰われるためにいるのだなどと信じ込んでいるのであります。」
 そして、とうとう死刑が宣告されてしまいますが、鳥たちの中にかつてシラノが自由の身にしてやったオウムがいたことで、彼は処刑直前に特赦を得て、釈放されます。

 彼はそれから植物が意志を持つ国に行ったり、恋人国や哲人国の人々と出会ったりします。そして『太陽の都』を書いた16~17世紀初めのイタリアの哲学者カンパネラにも出会い、彼を旅の同伴者とします。(実はこのカンパネラという人物は、南イタリアでスペインからの独立と教会の改革を目指した革命を計画していたのですが、それに失敗し、狂人扱いされ、牢獄でその著書を執筆したのでした。そして、釈放された後パリに赴き、ガッサンディと親交を結びます。だから、シラノもガッサンディを通じてカンパネラのことをよく知っていたのではないかと思われます。)

 しかし、惜しいことに「太陽編」は中途で切れた形で終わっています。ル・ブレが改作する前のシラノが書いた原稿全体は1921年に発見され、ようやくその全体像が理解されました。しかし、そこにおいてもその続きは発見されず、まったく紛失してしまったのか、それともわざとそこで筆を置いたのかはわからないままになっています。

 この作品以降シラノの名前は歴史の中から消えていきます。文学史的には『ガリバー旅行記』に連なる近代SF作家の祖とも言え、思想史的には18世紀の啓蒙主義思想の先駆とも位置づけられる人物でありながら、長い間その真価が認められることはありませんでした。
 そして、彼の名前が再びクローズアップされるのは19世紀になってからでした。
日月両世界旅行記 岩波文庫
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シラノ ド・ベルジュラック

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この記事へのコメント

ヒッピー
2009年03月27日 21:31
さらに、さらに、驚きました!
時間を見つけて、ぜひ読んでみたいですね。
2009年03月28日 09:11
ヒッピーさん、ありがとうございます。
トマス・モアの『ユートピア』以来、社会の矛盾を理想郷と対比させることで描き出すユートピア文学が、ルネッサンス以降ぽつん、ぽつんと生じ始めていました。シラノの作品はその中の一つとしても位置づけられると思われます。

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