春爛漫の読書案内その1 シラノ『月と太陽諸国の滑稽譚』月の巻

 シラノ・ド・ベルジュラックの著作の日本語訳は、『月と太陽諸国の滑稽譚』(伊藤守男訳)として出ています。この題名はシラノの死後に親友のルブレによって1657年に出版された『l'Histoire comique contenant les Etats et Empires de la lune(月の諸国と帝国を語る滑稽な物語』に基づいたものでしょうが、シラノ自身が付けた題は「L'autre monde ou les Etats et Empires de la lune (もう一つの世界、あるいは月の諸国と諸帝国)」といいます。ルブレは、この著書の中に当時の教会や宗教的・政治的権威を批判する点が多々あることで、この書が発禁処分を受けることを恐れ、そうした箇所を抜き去り単に荒唐無稽な冒険談に見えるよう改作したのでした。
 なお、岩波文庫では『日月両世界旅行記』という訳になっていますが、「旅行」という言葉は原題にはありません。岩波文庫で私が持っている有永弘人訳は、戦後間もないうちに訳されたこともあってか直訳調で読みづらいので、以下の引用は、伊藤守男氏の訳を使うことにします。(こちらはやや意訳が過ぎるところもありますが全体としてはこなれた読みやすい文章になっています。)

 前置きが長くなりました。さっそく中身の紹介に入りましょう。
 満月の夜、友人たちと夜の道を歩いていたシラノと友人たちは、「月とは何か」ということを巡って議論をし始めます。友人たちは天空に浮かんだ窓だとか、酒の神バッカスが居酒屋を開くために出した看板だとか言っているのに対し、シラノは「月といっても、所詮我等のこの地球と変わるものではなく、彼の地に参れば今度は地球が月になっていることと思いますよ」と言います。
 シラノの考え方は、宇宙から月や地球を撮影した写真を見たことのある現代人にとっては、まったく当たり前のことですが、十七世紀においてはこれはまだまだ奇妙な考えでしかあり得ませんでした。
 友人たちはシラノの意見を聞いて大笑いします。シラノは「いやなに、結構この同じ瞬間には、あの月世界では誰かが地球も月世界と変わらぬ人の住む世界だなどといって物笑いになっておるかもしれませんぞ。」と言い返しますが、皆ますます笑うばかりでした。
 それでシラノはとうとう月世界についいての著作を書こうと決心し、そのためには実際に月へ行ってみなければならないと考えます。
 これからシラノは月へ行くためのいくつかの方法を試します。その中には、理論的にはそれなりの合理性があっても実用には不向きなものもあれば、まったくファンタジックなものもあります。例えば、朝露を太陽が照らすと水分が空に登って雲になるという原理を利用して、身体のまわりに露をいっぱい詰めたガラス瓶をくくりつけるというものがあります。
 しかし、その中に、まさに今日の多段式ロケットを発想しているものがあるのには驚かされます。
「火矢を六つで一段とし、その廻りに導火線を巡らしてそれを何段も積み重ねておき、その一段が燃え尽きるとすぐ次の段に火がつくのだ。」

 このように、この著作においては、科学と想像力とが最大限結びついて、何世紀も先にならなければ実用化されないものを見事に描き出している箇所がいくつもあります。例えば月世界の住民が使用している機械についての描写もそうです。
「箱を開けると、その中には、私達の時計とだいたい似通った金属製のものが入っており、それには私には何か見当もつかないぜんまいや微細な機械がぎっしりと詰まっていた。これは確かに本なのだが、紙も字も使っていない不思議な本なのだ。この本を読むには、別に目はいらない。耳だけあれば良いのだ。そう、いろいろな紐のようなものでこれをぐるぐると巻き、それから読みたい章の上に針を合わせると、たちまち人間の口か楽器かでもあるかのように、あらゆる種類の音がはっきりと聞こえて来て、これが月世界の人にとっては言葉の用をなすのだ。」
 恐ろしいほどに、レコードかカセットテープ、あるいはCDのようなものを想定しています。
 
 シラノの真骨頂は、こうしたSFの元祖とでも言える空想科学的な発想だけにあるのではありません。彼の友人が題名と中身を変え、「滑稽な物語」として出版したわけは、この著作が当時の社会に対する鋭い風刺を含んでいたからでした。

 シラノがカナダの総督を相手に地動説の正しさを述べるところで、彼はこのような言い方をしています。
「惑星は全て太陽の廻りを廻っている地球のような世界であり、恒星は全てそれぞれが太陽であり、各々その廻りに又いくつかの惑星を従えているのです。(…)それなのに、これ等の天体は皆、巨大な無人の境であって、この地球だけは、私たちが一ダースばかりの人間の屑のような連中の言いなりになって、這いつくばっているというだけのことで、これ等全ての天体を治めるべきものだなどと何故言えるのです。」

 この「人間の屑のような連中」というのは、原文では「glorieux(栄光ある;至福を授けられた)coquins(ならず者たち)」となっており、つまりは各国の王達のことを表しています。これを見ても、シラノの批判精神が、科学的な真理を追究することに向けられていただけでなく、王政や身分制の非道に対しても向けられていたことがわかります。

 さらに特筆すべきは、シラノの反戦思想です。月世界人と親しくなったシラノは、彼らの英知に感心しながらも、月世界でも戦争があることを知って驚きます。ところが、彼らがどのような方法で戦争をするかという話を聞いて更に驚きます。

 月世界における戦争は、相対する両陣営が完全に同じ武力を持っているか、双方から選ばれた審判によって「絶対に不公平がないように」されます。戦士の人数はもちろん、武器の種類、そして、戦士の一人一人が、弱虫か勇気があるか、ひ弱か筋骨たくましいか、等々が吟味され、同じ程度の者とだけしか戦ってはいけないことになっています。そしてあらかじめ定められた敵以外の者を撃ったりすると、過失であることが証明されなければ、臆病者とそしられることになっているのです。しかも軍事力での勝負以外にも学者や才人同士の戦いがあって、その方が勝ち点が三倍もあり、審判によってどちらかの勝利が宣言されると、審判団は解散し、勝者となった国民が、その時々によって自国の王、あるいは敗者となった国の王を新たに自分たちの国の王に選ぶというものなのです。

 シラノは、その話をしてくれた月世界の王女に、ヨーロッパの王達は勝つために手段を選ばないが、その方がいいのではないかと言います。すると、王女はこう尋ねます。
「あなたの所の王達は、軍備を整えるのに当たっては、自分たちこそ実力に訴える権利があるのだとあれこれ言ったりしなくって?」
シラノ「ええ、自分たちこそ正義の味方だというようなことを言いますよ」
王女「でも、だったらどうしてお互いに信用できる審判を選ばないの。そうしてお互いに同じくらい正しいとわかったら、そのままでいるか、さもなければカルタ遊びをして、争っている町とか県とかをどちらにやるべきか決めたらいいんじゃないかしら。それをその王達と来たら、彼らの命同様に大切な人命を四百万人以上も殺させながら、自分達だけはのんびり部屋に引き籠もって、あれやこれやと馬鹿者の大虐殺を笑い話の種にしているんでしょう。」

 近代ヨーロッパに反戦思想というものが登場したのは、17世紀オランダの法学者グロティウスが最初でした。彼の『戦争と平和の法』(1625年)は、これまでほとんどなんの制約もなく行われてきた戦争に一定の法的規制を設け、それによって戦争を抑止しようとする考えを示したものでした。しかし、彼の考え方が具体的な形をとるのは、200年以上も後、1864年に赤十字がジュネーヴで提唱した捕虜の扱いに関する条約や、1899年のハーグ陸戦条約を待たなければなりませんでした。
 このグロティウスとほぼ同じ時代に、シラノ・ド・ベルジュラックもまた戦争を抑止するための手段について心を砕いていたのでした。彼の場合は月世界の王女というファンタジックな登場人物を創作し、当時の地球で最も受け入れられることのない思想を彼女に言わせています。国民が王を選ぶというのならまだしも、敗北した国の王を選ぶことも選択肢の中に入れているというのは、現代人にとってもまったく斬新な発想ではないでしょうか。戦争を徹底的に無意味なものと考えることから、このような見地が生まれたのでしょう。

月と太陽諸国の滑稽譚 (1968年) (ハヤカワ・SF・シリーズ)
早川書房
シラノ・ド・ベルジュラック

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この記事へのコメント

ヒッピー
2009年03月26日 20:00
驚きました! 「鼻のシラノ」として有名になっている小説でのイメージしかありませんでしたが、そういう人物だったのですか?!
2009年03月26日 22:11
私は、今まさに、SFと実際の科学は結びついているのだと実感している真っ最中です。ブログで発表している超能力小説の様々な設定。いろいろな最新の科学に触れると、驚くほどに似ているのです。
ある人は言いました。「思考実験は悪く言えばただの妄想である」
しかし、思考実験でノーベル賞を取った人もいる。そして、真剣な妄想は文学の世界で最大の力を発揮すると思うのです。
ノーベル賞を取るような人間は自分とは別世界の人間だと思いがちですが、想像力だけならば私程度でも引けを取らない部分もある。嬉しいです。
学校での物理や化学の授業が小説の役に立つとは面白い・・。SFって、結構現実の科学を反映するので、科学の未来と似かよる部分があるんですね。私もシラノと同じものが見える領域にようやく入りかけたところでしょうか。
ちなみに社会風刺もやっていきますよ。それが出てくるのはだいぶ先ですけれど・・。
2009年03月27日 00:24
ヒッピーさん、ロスタンの「シラノ」の方が圧倒的に有名なのですが、実際のシラノはこんな考え方をする人物だったのです。鼻はやっぱり実際にも大きかったそうです。シラノの著作の紹介は明日も続きます。
2009年03月27日 00:42
アッキーさん、17世紀の科学は数学や力学の方面ではかなり進んでいましたが、化学や生物学あたりでは現代の中学生の学習内容にすら達していませんでした。燃焼がどうして起こるのかもはっきりとはわかっていませんでしたし、細胞の存在も17世紀後半になってやっと発見されました。
 しかし、シラノの著作には、こうした発見に至るヒントがシラノなりの熟慮と直感を持って示されているのです。
 SF大好き! アッキーさんの小説も期待を持って読んでますよ。 

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