第36話 使者-1

これまでのあらすじ
 1685年、フランスの絶対君主ルイ十四世は、信教の自由を定めたナントの勅令を廃止し、カトリック以外の宗教を禁じた。これまで共存していたユグノー(カルヴァン派のプロテスタント)とカトリックの人々との間には、深い対立が生じることになった。多くのユグノーがフランスから亡命し、あるいはカトリックに改宗していったが、南フランスのセヴェンヌには、心の底から改宗したのではない人々が数多く存在していた。
 1702年1月、セヴェンヌで預言者としていたジャン・カヴァリエは厳しい弾圧を避け一時期ジュネーヴに亡命し、そこでディマンシュ・ブライユと出会う。彼の従弟アルとジャンとは親友であった。ジャンは半年間ジュネーヴで研鑽を積み、そしてディマンシュと共についにフランスへと戻ってきた。彼らはフランスでいったい何をするために戻ってきたのか…。

 セヴェンヌのユグノーたちの中から新たに登場した預言者たちは、これまでの説教者が牧師や教師をしていたり、改革派教会で何らかの教育を受けてきた者たちであったのに対して、無学な人々が多かった。しかし、その言葉は力強く、時には言葉の中身よりも、その調子や叫び、さらには燃える炭火の上を平気で歩くといった常人とは思えぬ行為によって、ユグノーの住民たちの心を集めた。その中には少なからぬ数の女性もいた。彼ら、彼女らは、激しい言葉で迫害者を呪い、新しい世界の到来を祈りながら、荒野や暗い森の中で詩篇歌を歌い、踊り明かした。
 しかし、そうした行為に対する弾圧は苛烈を極めた。女預言者フランソワーズ・ブレ、通称ビションは、マルチーズ犬(ビション)に似た愛くるしい顔立ちの女性であったが、シェーラ司祭によって逮捕され、ポン・ド・モンヴェールの広場で処刑された。これまでは、女は捕らえられても修道院に幽閉されるのが常であったが、彼女には絞首刑が宣告された。不思議なことに、彼女が処刑台に上ろうとする間ずっと太鼓が打ち鳴らされていたにもかかわらず、彼女が最後の予言をしたのがみんなの耳にはっきりと聞こえた。
「あたしをこの責め苦に陥れた者自身が二十四週目の二十四日のうちにその命を終える。」
 当のシェーラ司祭はこの予言を鼻でせせら笑っていたが、この言葉は処刑に立ち会った人々の間に深く刻まれた。彼女が処刑されたのは一七〇二年一月末のことであった。

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