第6話 マグダラのマリア―1

これまでのあらすじ
 十九歳のユグノーの青年ディマンシュは、亡き伯父が心酔していた著作を求め、修道士に変装し、十二歳の従弟アルと共にカトリックの教会にもぐりこむ。そこで貴族の娘シャルロットと知り合い、彼女はディマンシュに、アルは彼女に恋心を抱く。
 シャルロットの父親は、教養豊かな修道士を気に入るが、兄のアドルフは怪しい人物であるとにらむ。
 そして、とうとうディマンシュらの正体はシャルロットの知るところとなる。ディマンシュとアルは彼女と会うことを諦めるが、シャルロットの方は諦めようとはしていない。

 ガブリエルは、リュックの外科医の仕事を住み込みで手伝っていたが、約束の期間が終ったので、久々にわが家へ戻ることになった。慣れ親しんだ道を歩いていると、一人の少女が同じ道を歩いているのが見えた。村の中では、今までに見たことのない少女であった。少女は時々立ち止まってはあたりを見回し、首をかしげていた。道がわからなくて困っている様子だった。ガブリエルはその少女に近づくと、声をかけた。
「娘さん、道がわからないのかい。よかったら、案内してあげようか。」
「ご親切感謝いたしますわ。」
 少女は優雅に一礼した。農民の娘らしい前掛け姿をしていたが、その話し方や物腰は、その外見にあまり似つかわしくないものであった。
「で、どこへ行こうとしてるんだい。」
「あの、ブライユさんというお宅にお伺いしようと…。」
「へえ? それなら、うちだよ。」
ガブリエルは目を丸くした。この美しい娘がいったいわが家に何の用があるのか見当もつかなかった。

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この記事へのコメント

2006年04月14日 17:23
少女はシャルロットでしょうか。変装までしてもディマンシュに会いたいと思ってここまで来たのなら、彼女は新たな決意をしたのでしょうね。さて、前回のまとめでのステレオタイプのお話を、興味深く読ませていただきました。「男らしく女らしく」という概念は、差別・偏見に根ざした、ジェンダー思想に反する時代に逆行した概念だと思います。個人そのものを見ずに、性差や人種や国籍で人を判断する差別の思想は、人類の発展を阻む要素であると思います。日本のジュンダー思想の学校での取り組みに真っ向から反対しているのも、現政権ですしね。今回も燃えまくってしまい、大変失礼しました。
2006年04月15日 10:22
日本で普通選挙における男女同権が実施されたのは、戦後の新憲法においてでしたが、フランスでも意外にその歴史は新しく、1944年にようやくその制度ができたのです。市民革命が即、男女平等につながったわけではなかったのです。日本国憲法で、婚姻における両性の平等が規定されたのは画期的なことでしたが、そこに腹を立てている時代錯誤な人もいるようです。
ところで、300年前といえば、男尊女卑が当たり前の時代であったわけですが、この小説の主人公ディマンシュは、女性が男性より生まれつき頭が悪いとか、無能であるとか、とりえといえば従順さだけであるとかいう考えをまったく持っていません。どうしてだと思われますか? どなたでも思うところを書いていただけるとありがたいです。
ぺんぺん草
2006年04月15日 21:19
はじめまして。時々まとめて愛読している者です。
ディマンシュの父ちゃんより母ちゃんの方が世間の価値観から見ると、大変優れているのを幼い時から見ているから。
男尊女卑の主人公なんて今の多くのひとには魅力的に映らないから。
というところでいかがですか?
アッキー
2006年04月15日 22:54
クイズの答え ①ディマンシュは女性である。これは第3話の2つの出来事からの推測です。1つは女装させられたシーン。もう1つはアルと一緒に眠るシーンです。読み返してみてください。               ②ディマンシュは過去に男でひどい目にあった。こっちは第1話より。 (なんてね。①も②も私の妄想に過ぎません。)
2006年04月16日 20:48
ぺんぺん草さん、はじめまして。
この小説を読んでいただいて、ありがとうございます。
ご意見の前半については、第1章、第2章の設定をよくご記憶いただいていますね。
後半については、私の想定外のご意見ですが、もしかしたらそうなのかもしれません。読者への受けを狙うというよりも、むしろ私自身がそういう主人公を描きたかったのだということは言えそうです。
今後ともいろいろなご意見お願いいたします。
2006年04月16日 20:58
アッキーさん、妄想大歓迎です。アニメ「三銃士」では、アラミスが実は男装の麗人であったという設定になっており(原作は男性です)、一瞬そういうのもありかなという気にさせられました。しかし、女性が成人男性に変装して長時間一緒に生活してもばれないというのは、やはり無理がありそうです。声変わり前の少年なら可能かもしれません。その逆の成人男性が女性に変装することは可能であり、またいくつも実例があります。幕末の志士桂小五郎は変装の名人で、女性にもよく変装していたそうです。

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