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help リーダーに追加 RSS 慧眼なる読者との対話(9)

<<   作成日時 : 2006/07/30 11:38   >>

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 第9話まで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。アルの精神もひとつの成長を遂げ、作者としてもほっとしています。本当のPTSDならもっと症状が長引くのではないかと言われそうですので、PTSDという診断になるのかどうかは不明であると逃げておきます。次は「第10話 イソップの言葉」です。イソップの寓話ははたして彼らの人間関係に、何らかの変化を生じさせるのでしょうか。この話自体、歴史小説というより、ひとつの寓話のようなものかもしれません。
 ところで、今回は時空を無視して(こういうところが寓話的である点のひとつです)、夏の特別企画と称して、大物ゲストをお呼びしました。ご紹介いたしましょう。18世紀のフランスの思想家ルソーさんです。

「こんにちは。わたしのことはジャン・ジャックと呼んでくれる方がうれしいのですが。」
「ジャン・ジャック…? それは、少しなれなれし過ぎるのではありませんか。」
「そんなことはありません。私の書いたものを好んでくださる人々は、わたしのことをそう呼んでくれていますから。」
「それでは、わたしもジャン・ジャックと呼ばせていただきましょう。」
「あなたも小説をお書きになるようですが、もしかしてそれは、わたしの『新エロイーズ』のようなものですか?」
「ジャン・ジャック、ごめんなさい。実は『新エロイーズ』はまだ読んでいないんですよ。『アベラールとエロイーズ』なら読んだんですけれどね。」
「当然わたしもあの本には感銘を受けました。だからこそ、その名にちなんだ題名にしたわけです。」
「ジャン・ジャックは本当に多才ですね。小説から政治的な論評まで多くの著作があるわけですが、今日はひとつ、『エミール』を紹介していただこうと思いまして。」
「『エミール』がお好きですか。」
「ええ、個々の具体的な点に関しては今となっては古めかしくなってしまったところもありますが、基本的な思想に関しては、今もなおその意義を失っていないと考えます。例えば、あなたがおっしゃる、教育の規則は、時を稼ぐことではなく、時を失うことであるという言葉は、逆説めいていますが、まさに真理であると思います。人はよく子どもに、その年齢以上のことをさせたがりますが、子どもには、その年齢、その発達段階でしかできないことを十分にやらせてあげることがとても重要であるということを意味しているのですね。」
「そうです。深く考えてみると逆説を言わなければならないことがあります。一般の読者の皆さんがなんと言おうが、わたしは偏見にとらわれた人間であるよりは、逆説を好む人間でありたいと思っています。」
「しかし、あなたのこの『エミール』には、単に教育論としてだけではない、何かがありますね。」
「それはわたしが夢想家だからでしょうね。」
「あなたはエミールを人間として育てようとしています。これは、親の身分にふさわしい人物に子どもを育て上げることが教育の目的であった時代からすれば、本当に画期的なことですね。」
「ええ、わたしは、この身分制社会が永遠には続かないだろうという予感があったのです。私は、自分の子どもに家庭教師をつけることのできる貴族や金持ちの人を対象に、こんなことを書きました。」

 あなたがたは社会の現在の秩序に信頼して、それがさけがたい革命におびやかされていることを考えない。そしてあなたがたの子どもが直面することになるかもしれない革命を予見することも、防止することも不可能であることを考えない。高貴の人は卑小なものになり、富める者は貧しいものになり、君主は臣下になる。そういう運命の打撃はまれにしか起こらないから、あなたがたはそういうことはまぬがれられると考えているのだろうか。わたしたちは危機の状態と革命の時代に近づきつつある。その時あなた方はどうなるか、だれがあなたがたに責任をもつことができよう。人間がつくったものはすべて人間がぶちこわすことができる。自然が押したしるしのほかには消すことのできないしるしはない。そして自然は王侯も金持ちも貴族もつくらないのだ。

「ジャン・ジャック、あなたが『エミール』をお書きになったのは1759年から1762年にかけての頃でしたね。フランスではルイ15世の時代で、革命が実際に起こるのは、それから30年も後のあなたがお亡くなりになってからのことになるのですが、そんな時代にこんなことを書いて反発はありませんでしたか。」
「もちろん、大いにありました。しかし、わたしは、自分の考えたことを書かずにはおれませんでした。そのことは、この本の序文にもこう書いておきました。」

 わたしは他人の考えを書いているのではない。自分の考えを書いているのだ。わたしはほかの人と同じようなものの見方をしない。すでに久しいまえからわたしはそれを非難されている。しかし、ほかの人の目を自分にあたえたり、ほかの人の考えを借りたりすることがわたしにできるだろうか。それはできない。うぬぼれないようにすること、自分ひとりが世間のだれよりも賢明な人間だとは考えないこと、それはわたしにもできる。自分の考えを変えることではなく、それに疑いをもつことはできる。それだけがわたしにできることだし、わたしがしていることでもある。たとえときにわたしが断定的な調子で語るとしても、それは読者に押しつけるためではない。自分で考えたとおりに語るためだ。自分がすこしも疑っていないことを、どうして疑問の形で述べることができよう。わたしは頭の中で考えたことをそのまま正確に語るのだ。
(ルソー『エミール〈上〉』 今野一雄訳より)

「いや〜、まさにブロガーの心得とでもいうべきお言葉ですね。」
「ブロガー? なんですか、それは? わたしは英語には疎いもので…。」
「えーと、どう言ったらわかってもらえますでしょうか…。ブロガーとはブログの執筆者のことで…。ブログとは、自分の書いた文章が瞬時に多くの人に伝わるような媒体のことでして…。」
「つまり、新聞のようなものですか? 新聞なら知っていますよ。わたしの時代にもありますから。」
「いやいや、新聞よりももっと便利なものなんですよ。なにしろ印刷して配布する資金も手間隙もいらないんですから。それに読者からの意見もすぐに受け取ることができるんですよ。」
「250年も経つとそんな便利なものができているのですか。さぞかし人々が幸福に暮らせる自由で平等な社会になっているのでしょうね。私の書いた『人間不平等起源論』などは、もう用済みになっているのではありませんか。」
「ジャン・ジャック、そうであると胸を張って言えたらうれしいんですけどね…。」

第9話に関する覚書

1691年4月
場所
ガブリエルの家
ルール家の屋敷

登場人物
ディマンシュ(19歳)…ユグノーの青年。必要だと思ったことは何でもできる有能にして優秀な青年だが、自分の爆睡体質だけは直せない。なぜか女性とは交際しないと公言している。
アル(12歳)…ディマンシュの従弟で、素直で心優しい性格の少年だが、悩み多き思春期に突入。彼自身はシャルロットを愛しているが、シャルロットの心が自分ではなくディマンシュにあることを感じている。
ガブリエル…「嵐を呼ぶ主婦」。アルの母親で、ディマンシュの義理の伯母。死んだ夫オーギュストを心から愛している。
村娘たち…明るくおしゃべりな娘たち。そのうちひとりはリュックじいさんの孫。
シャルロット・ド・ルール(14歳)…カトリックの貴族の娘。好奇心いっぱいの恋する娘。ディマンシュがユグノーだと知っても、自分の恋を諦めようとしない。
アドルフ・ド・ルール(19歳)…シャルロットの兄。父親の穏健さに不満を持ち、出世のために手柄を立てようと張り切っている。勇猛で知られるプール隊長の部隊に配属された。
セザール・ド・ルール…カトリックの貴族。アドルフとシャルロットの父親。息子と娘は愛情の対象であると同時に頭痛の種でもある。
エミール〈上〉 (岩波文庫)

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
「エミール」私にとって懐かしい響きです。サラリーマンだった私は、自分の志をあきらめきれず、会社をやめて某国立大学大学院を受験すべく勉強しておりました。1993年のことでした。書物として大変素晴らしい「エミール」ですが、その内容に反してルソーは自分の子供を虐待していました。素晴らしい思想家が家庭では暴君だったり、人間とは難しいものですね。
パッセ
2006/07/30 15:56
ルソーやユゴー、トルストイがブログをやったら、どうなるだろうか。よく考えます。特別ゲストのルソーさんが言うように、庶民が新聞やラジオ以上のものを持ったのなら、世の中は良くなっているだろうという想像。なるほどという気もします。しかし現実はなかなかそう簡単ではない。ルソーさんもブログをやれば、その難しさがわかるかもしれませんね。
沢里尊
2006/07/30 22:03
パッセさん、さすがに鋭いご指摘です。
ジャン・ジャック、あなたは『エミール』の中で自分の子どもを教育するという責務を果たさない父親は重大な罪人だと言ってますね。「父としての義務をはたすことができない人には父になる権利はない。貧困も仕事も世間への気がねも自分の子どもを自分で養い育てることをまぬがれさせる理由にはならない。読者よ、わたしのことばを信じていただきたい。愛情を感じながら、こういう神聖な義務を怠るような者にわたしは言っておく。その人は自分の過ちを考えて、長いあいだにがい涙を流さなければならないだろうし、けっしてなぐさめられることもないだろう。」と書いているわけですが、それは、まずもって自分自身に対する非難の言葉なのでしょうか。
すずな
2006/07/31 11:03
まったくご指摘の通りです。わたしは1745年以来同棲していたテレーズ・ルヴァスールとの間にできた5人の子どもをみんな孤児院に送ってしまいました。わたしの『告白』で「教育論の構想を立てていたとき、わたしは、なんとしてもまぬがれられぬ義務を自分が怠っていたことをさとった。後悔の念はやがて激しくなって、『エミール』を書きはじめたとき、もう少しで自分の過ちをうちあけてしまうところだった…」と書いている通りで、わたしは自分自身の子どもの養育を放棄してしまったのです。彼女とは1768年に正式に結婚しましたが、そのことでわたしの罪が許されるとはまったく思っていません。その慚愧の念が、わたしに『エミール』を書かせた原動力なのかもしれません。
ジャン・ジャック
2006/07/31 11:15
沢里さん、彼もさっそく反論が来て、困っている様子です。
しかし、手紙しかない時代でもヴォルテールやその他大勢の人と論争していましたから、ブログに慣れたら、きっと世界中の人々と大論争をするのではないでしょうか。
すずな
2006/07/31 11:20
最近、教育についての本を読む機会が多くなりました。その中で、一定のよい評価を与えてもよいと思うものには共通して以下のようなことがかかれてあります。それは、親子間の対話が重要だということです。それはなるほどと納得するのですが、生活が苦しくてまたはその他何らかの事情でそれを十分にできない人々のことを考えてないと思います。
ジャン・ジャックさん、あなたのしたことは許されないことだと思いますが、それをせざるを得ない事情があったのではないですか?あなたと会うのはこれが初めてなので、単なる憶測でしかないのですが。
アッキー
2006/07/31 14:19
「シンデレラ」のなぞというのは、彼女の父親はどうしてあんな性悪女と再婚したのか、ということです。なぞを解いた、というのは、あくまで物語の内容に即してのことであって、作者がどう考えていたかは考慮していません。
なぞを解く鍵となるのは以下の三つです。一つ目は、王子がガラスの靴を頼りにシンデレラを探そうとしたということ。二つ目は、十二時になったときシンデレラが王子から逃げ切れた場面。三つ目は、義姉たちがガラスの靴を履こうとして足の一部を切り落としたということです。
アッキー
2006/07/31 14:33
アッキーさんは教師志望なのでしょうか。ジャン・ジャックに対して厳しくかつ心優しいですね。
今でこそ彼は超有名人ですが、彼が生きていた頃、とりわけ若い頃はかなり不安定な生活をしていました。おそらくいろいろなことを切り捨てて生きてきたのでしょう。
現代に生きる私たちは、彼を批判すると同時に、そんな彼の過ちを繰り返さないよう心がけたいものです。

シンデレラのなぞときは難しいですね。シンデレラの母親は心根のいい女性だったのに、どうして父親はおかしな女性と結婚してしまったのでしょうね。わたしも疑問に思います。
鍵の一つ目からわかることは、シンデレラの足に特徴があったということでしょうか。普通サイズの女性なら山ほどいますから、間違った花嫁を選んでしまう可能性がありますからね。二つ目はよくわかりませんが、シンデレラは重労働で体を鍛えていたので、お城暮らしの王子よりも速く走れたということでしょうか。三つ目は明白で、義姉たちの方がシンデレラより足が大きかったということですね。しかし、なぞとこれらの鍵はどのように結びつくのでしょうか。
すずな
2006/08/01 14:26

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