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第7話まで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。暗い場面が続き、読者の皆様にご心配をおかけしましたが、第6話から引きずっていた問題もようやく解決をみました。危機を乗り越えて、彼ら家族の結びつきも一層強固なものとなりました。 さて、次の「第8話 訪問者」では、主婦にヒロインの座を奪われそうになっている少女が再び登場します。そして彼女の父親もまた意外な秘密をかかえた人物であることが次第に明らかになってきます。 「で、例の宿題は、どうなったのかね。」 「わかってますよ。今からその話をしようと思っていたところですよ。でも、その前に、ちょっと前置きをさせてくださいね。このブログのレポート機能でわかったことなんですが、最近、“マグダラのマリア”、“血筋”、“秘密結社”などのキーワードで検索して、この小説を見に来られた人がけっこういるんですよ。」 「もしかしてそれは『ダ・ヴィンチ・コード』の影響かね。」 「私もそう思うんですよ。『ダ・ヴィンチ・コード』に関する知識を得ようとしたら、全く違う小説に行き当たって、びっくりしてらっしゃるんではないかと思うんですけどね。」 「『ダ・ヴィンチ・コード』というのは、ずいぶんいろんな意味で話題を呼んでいるようだが。」 「まあ、私は小説も映画もまだ見ていないのでコメントはできませんが、聞くところによると、キリスト教を冒涜するような非常に衝撃的な内容が含まれていて、それが一部のキリスト教徒から反発を呼んでいるとか。」 「うむ、マグダラのマリアというのが実は…。」 「まあ、それが真実かどうかはともかくとして、私としては、前回紹介した本田神父の翻訳の方がよほど衝撃的であると考えますね。なにしろ、新約聖書の冒頭、普通なら『イエス・キリストの系図』という小見出しが着いている箇所に『「けがれ」の混じる「キリスト」(油を注がれたもの)イエスの系図』とあるのですから。」 「それはまた挑戦的な書きっぷりだな。本当にその人は神父なのかね。」 「そんなこと言っちゃ失礼ですよ。れっきとしたカトリックの神父で、フランシスコ会の日本管区の責任者を務めたこともある方です。この翻訳を出したために破門されたという話も聞きません。内容は他の聖書と同じ、イエスの父、ヨセフの先祖の名前が書き連ねてあるだけです。ただ、いくつかの箇所が太字になっているということだけが他の聖書と違っています。実際にどのように書かれているか紹介してみましょう。」 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、「キリスト」イエスの系図。アブラハムの子はイサク、イサクの子はヤコブ、ヤコブの子はユダとその兄弟たち。ユダの子はタマルによるペレツとゼラ、ペレツの子はヘツロン、ヘツロンの子はアラム、アラムの子はアミナダブ、アミナダブの子はナフション、ナフションの子はサルモン、サルモンの子はラハブによるボアズ、ボアズの子はルツによるオベド、オベドの子はエッサイ、エッサイの子はダビデ王である。 ダビデの子はウリヤの妻によるソロモン、ソロモンの子はレハブアム、レハブアムの子はアビヤ、アビヤの子はアサ、アサの子はヨシャファト、ヨシャファトの子はヨラム、ヨラムの子はウジヤ、ウジヤの子はヨタム、ヨタムの子はアハズ、アハズの子はヒゼキヤ、ヒゼキヤの子はマナセ、マナセの子はアモス、アモスの子はヨシヤ、ヨシヤの子はバビロンへ移住させられたころのエコンヤとその兄弟たちである。 バビロンへ移住させられたのち、エコンヤの子はシャルティエル、シャルティエルの子はゼルバベル、ゼルバベルの子はアビウド、アビウドの子はエリアキム、エリアキムの子はアゾル、アゾルの子はサドク、サドクの子はアキム、アキムの子はエリウド、エリウドの子はエレアザル、エレアザルの子はマタン、マタンの子はヤコブ、ヤコブの子はマリアの夫ヨセフであり、このマリアによる子が「キリスト」と呼ばれるイエスである。 『<AISBN:488382019X>小さくされた人々のための福音〔第2版〕―四福音書および使徒言行録</AISBN>』(p.30-31)より 「系図というものは、興味のない人にとっては、地味で退屈極まりないものでしかありませんが、時には非常に雄弁に真実を語ってくれることがあるのです。この系譜を見ると、まず、基本的には、父親とその息子の名だけが書かれていることがわかります。旧約聖書の記述では、母親の名前もしっかり記載されているのに、ここでは省かれています。」 「つまり、男系主義の見地で書かれているということだな。」 「ええ、それがこの系譜の原則であることは間違いありません。ところが、ここからが問題なのですが、わざわざその原則に反して、母親について書いている箇所がいくつかあります。本田神父の訳ではそこが太字になっています。」 「“ウリヤの妻”というのは、いったいどういう意味なんだ?」 「そのまんま、“ウリヤの妻”です。ウリヤというのは、ダビデの部下ですが、ダビデ王は彼の妻に横恋慕をしてしまい、あろうことかウリヤをわざと激戦地に送って戦死させ、その妻を横取りしたのです。」 「なんとまあ、男の風上に置けぬやつだ。」 「ダビデといえば、小さな投石器1つで屈強の大男ゴリアテと対決した勇気ある少年の姿を思い浮かべますが、実はこんな側面もあったのです。太字のところは、全てこのような問題のあるカップルなのです。タマルとユダは嫁と舅という関係だし、ラハブはヨシュア記によれば遊女と記されている女性なのです。」 「しかし、ルツといえば、夫が死んでもその姑に尽くした嫁の鑑として知られている女性ではないか。これはむしろ賞賛すべき例として掲載したのではないのかね。」 「いいえ、ここにもやはり問題があります。なぜなら、ルツはユダヤ人ではなくモアブ人だったからです。ユダヤ人はそうした外国人をひどく嫌っていたのです。新約聖書の中にも各所にユダヤ人とそうでない人々との軋轢や対立が描かれています。イエスの弟子ペトロでさえ、ユダヤ人を他の民族とは違う特別な民族として考えていた時期がありました。そのペトロを説き伏せてそれが誤りであることを認めさせたのは、イエスの死後キリスト教徒となったパウロだったのです。したがって、この『マタイによる福音書』の冒頭の系譜は、本田神父の指摘どおり、当時の人々が“けがれ”と考えていたものをイエスが背負っていることを示すために書かれたものであって、けっしてその血筋を誇るとか、特権的なものとして自慢するとかいうことを目的としたものでないことは、まったく明らかです。」 「ふうむ、王としての権力を使って自分の有能で忠実な部下を殺してその女房を奪い取ったなどということに比べたら、イエスがマグダラのマリアとどういう関係にあったとしても、別に何の問題もないように思えてきたな。」 「ね、私もそう思うんですよ。」 「あ、ところで、また別の話なんですが、『楡の木同盟』で検索をかけてこの小説にたどり着いた人がいることもわかったんですけどねえ…、これがちょっと…。」 「『楡の木同盟』? それは何かね。」 「えっ…、覚えてらっしゃらない? いや、まあ、無理もないか。この物語にはほとんど関係のないことだから。覚えていないなら助かった。」 「何が助かったって?」 「い、いや…、なんでもありませんよ。」 「そのあわてぶりからすると、もしかして『楡の木同盟』について間違ったことを書いておったことがわかったのだな。」 「ぎくっ!」 「さあ、白状せい。」 「すみません。また次の回で、お詫びと弁明の機会を与えてくれませんか。」 「よかろう。」 「あーあ、また宿題か…。」 第7話に関する覚書 時 1691年3月 場所 ガブリエルの家 村の道 「灰色猫」の家 登場人物 ディマンシュ(19歳)…必要だと思ったことは何でもできる有能にして優秀な青年だが、自分の爆睡体質だけは直せない。なぜか女性とは交際しないと公言している。 アル(12歳)…素直で心優しい性格の少年だが、悩み多き思春期に突入。 ガブリエル…「嵐を呼ぶ主婦」。死んだ夫オーギュストを心から愛している。 「灰色猫」…非改宗者として逮捕されたが、拷問に屈して信念を曲げ、金と女で買収されて、政府の回し者となった人物。「灰色猫」はその暗号名(コードネーム)。村を思いのままに操ろうとしたが、ディマンシュに正体を見破られる。 リュック…村の長老。みんなから尊敬されている人格者だが、床屋=外科医としての腕前には疑問符が。 リザベット…リュックの妻。うるさ型だが、根は優しい。 その他の村人たち…お人好しでだまされやすい人が多い。 |
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イエスの聖性は、後世のキリスト教徒によって作りあげられたものかもしれませんね。マリアは処女懐胎ですが、イエスにはれっきとした父親がいる可能性も…。(注;だからといってキリスト教を非難するわけではありません!)でも、こんなタブーに挑戦できるのが、アメリカのすごいところだなあ、とも思います。 |
りんまご 2006/06/06 12:04 |
すずなさん、系図のよい説明をありがとうございます。 |
ぺんぺん草 2006/06/06 14:58 |
りんまごさん、そうですね。本田神父などは、高みから降りてきたのではなく、むしろ徹底して底辺の人々とともにあることにイエスの聖性を見いだしています。お上品なイエス像はやはり後世の人々がつくりあげたものかもしれませんね。 |
すずな 2006/06/07 11:07 |
ぺんぺん草さん、こちらこそ、適切なコメントをしていただき、ありがとうございました。キリスト教徒の人はやはり、そういうことを認識しておられるのですね。でも、同じように、「キリスト教」を口にしていても、まったく正反対の結論を出す人がいますね。 |
すずな 2006/06/07 11:16 |
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